ダルエスサラーム便り


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Kusikia si kuona No.9

相澤俊昭


 

相澤 俊昭(あいざわ としあき)




タンザニア横断-ダルエスサラームからキゴマまで①-


 ダルエスサラームから北へ60kmほど行ったところにバガモヨという町があります。町自体はそれほど大きくなく、漁業と農業が中心の田舎の雰囲気を残した、静かなのんびりとした印象の町です。かつて、ここでは、アラブ人により交易が行われ、内陸のコンゴやタンガニーカ湖畔やビクトリア湖畔から象牙や奴隷を運んだキャラバンがやってきて、ザンジバルへと移されていました。当時のバガモヨは、その交易の中心的な港で、いまでもその当時の様子を伺える建物や遺跡などがいくつか残っています。

 そして、このキャラバンが象牙や奴隷を運んだ道はキャラバンルートと呼ばれ、大きく分けると3ルートあり、ひとつは現在のタンガ州のパンガ二から、ビクトリア湖の東側のケニアへ抜けるルート、2つ目はバガモヨからタボラまで行き、そこからさらに3つにわかれ、西のウジジまで、一方は北上してビクトリア湖の西側、もう一方は南下してタンガニーカ湖のに南側へ抜けるルート。3つ目はタンザニア南部のキルワとリンディから西側のニャサ湖方面へルートがあったそうです。この3つそれぞれのルートで運ばれてきた象牙や奴隷の最終終着地はザンジバルで、ここから奴隷はクローブやココヤシの農園の労働力として運ばれていったそうです。この3つのルートの中で最大の交易ルートと言われていたのが、2つ目のタンザニアの中央部を通るルートです。

 今回はそのキャラバンルートを辿って、ダルエスサラームからキゴマまでバスに乗って走って来ました。ちょうどタンザニアの国土を東端から西端まで横断する形です。距離にしてだいたい1,400kmほど。途中のタボラでの1日滞在を除けば、2泊3日の移動です。大雨季まっただ中の4月下旬だったので、バスを使っての移動はスタックや故障も考えられるので、多少の不安を抱えての出発でした。

 実際走ってみると、現在でも未舗装道路の部分は残りますが、よっぽど大雨が降らない限り、4輪駆動車だったら通ることが出来そうな感じでした。当時の商人たちは、キャラバンを組んで、人力で荷物を運び、移動していたわけですから、水・食料の調達や通過する土地の人々との争いなど大変さが半端ではなかったと思います。

 また、このキャラバンルートをなぞるようにダルエスサラームからキゴマまで、週2便でタンザニア鉄道が走っていますが、時間が読めないことや、3等席のみで一人旅という理由から今回はこの案を外しました。ローカルの長距離移動のバスを使ったのでダルエスサラームからドドマまでの舗装道路は良かったですが、そこから先は人と荷物を満載した状態で悪路を走るので、移動時間がものすごく長く、バスの窓から外の景色を眺めながら移動するという余裕は、残念ながらなかったです。本当であれば、のんびりと走る鉄道で移動する方が良かったかもしれません。それでも、西側へ向かって行くにつれ、変化していく地形を見ることが出来て、改めてタンザニアの国土の広さを実感しました。

 1日目はダルエスサラームからモロゴロまで移動して、ここで1泊し、翌日、タボラ行きのバスに乗りました。途中、タンザニアの新首都ドドマを通り、マニョニからは未舗装の悪路です。埃の舞う、デコボコの道がタボラまで、ずっと続いており、途中で、タンザニア鉄道の線路が見える区間もあります。ふと、昔の商人もこの道を通ったのかと思います。

 マニョ二を通過したのが、14時頃でした。出発前に、ここから先はまだ舗装されていない道路が続いており、途中に小さな村が点在していると聞いていたので楽しみにしていましたが、途中、何度がバスが止まってしまい、日暮れとともに周りは真っ暗になってしまい、何も見えなくなりました。タンザニアの田舎の様子を、通りすがりに見れるかなと期待していただけに、ちょっと残念でした。村の様子を見たければ、1日目でドドマまで移動しておくのが良かったかもしれません。結局、タボラに着いたのは夜10時過ぎでした。朝7時過ぎのバスに乗ったので、約15時間の移動です。


<マンゴー並木>

 タボラは、前述の3つに分かれたルートが合流する地点で、この交易の一番大きな拠点だったそうです。ここで1日滞在しましたが、いままで通ってきた地方都市のように沢山の車は走っておらず、代わりに教会に行く人達が街中を歩いていて、のんびりとした印象を受けました。街の道路の両側に大きな木が植わっている道が多く、涼しい気候もあってか歩いていてとても清々しいです。立派なマンゴーの並木もありました。


<リビングストン博物館>

 宿泊したホテルで、この街の見どころを聞くと、郊外にリビングストン博物館があるというので、行ってみることにしました。車で約20分ほど、郊外の未舗装道路を走り、途中で古ぼけた看板(かなり見つけづらい)があり、そこを右に曲がり、村の細い道路を通り抜けると歴史を感じさせる大きな建物がありました。アラブ風建築で、建物の回りを囲むように高く、頑丈そうに作られた壁には、ところどころ小さな穴があり、建物の入り口の扉は彫刻がされておりとても立派でした。聞いた話なので本当かどうかはわからないですが、この扉はこの屋敷のアラブ商人の奴隷によって彫られ、彫り終えたとたん、同じ彫刻の扉を作られることが無いように、その奴隷をすぐさま殺してしまったとか。もし、話が本当なら、悲しい過去を持つ扉でもあるようです。この博物館の受付は、近くの村に住むムゼー(スワヒリ語で年配の男性を指す)がやっているそうで、その家まで行って博物館の中に入れてもらおうとしましたが、タイミングが悪く、その時は町へ買い物に出かけてしまっていて、中に入ることが出来ませんでした。中にはリビングストンにまつわる品々などが展示されているようです。


<タボラ駅>

 ホテルに戻り、その日の夕方、タボラの駅まで歩きましたが、相変わらず車とは全くすれ違わず、道沿いに建つ家の庭では、子供を背負ったお母さんが夕飯の準備をしていたり、小学校の校庭では子供たちが遊んでいたりと、静かでなつかしさを感じさせる町でした。


<オリオン・ホテル>

 タボラで宿泊したホテルはオリオン・タボラ・ホテルです。ドイツ植民地時代に建設されたタンザニア鉄道の主要な駅の近くに建てられたホテルにレイルウェイ・ホテルというのがあります。このオリオン・タボラ・ホテルも、そのレイルウェイ・ホテルの内の1つで、ホテルの敷地はとても広く、玄関入口には噴水があり、歴史を感じさせる建物です。レストランの食事も美味しく、すぐ隣のバーは、週末はディスコとなり、沢山の人で賑わうようです。スタッフも気さくで、気持ちの良い滞在となりました。

(2013年5月15日)


*;『Kusikia si kuona』とは日本語で百聞は一見にしかずという意味です。タンザニアで私が実際に見て、感じたことをこのページで紹介していきたいと思います。  

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