ダルエスサラーム便り

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タンザニアからの手紙 No.33

CHIBITE日本ツアー報告!



金山 麻美(かなやまあさみ)



 

空港で出発を待つ
 11月のCHIBITEの日本ツアーに同行して来ました。その記録と報告です。

11月11日(火)

 ダルエスサラーム発ドバイ行きエミレーツ航空の搭乗手続き開始時間は15:00開始ということなのに、なんとCHIBITE訪日メンバー8名(女性は、タブ、ンデークワ、チーク、ペンド。男性はダハニ、アンドレア、ムサフィリ、バハティ) とそのお見送りは、13:00には空港に着いていたのだと。 暇なのか、用意周到なのか。
 チェックインのときに太鼓を数個入れてあった縦1m以上もある大きな木箱が「40kg以上あるので、重すぎる」とエミレーツの職員に却下され、大汗をかきながら(空港、冷房きいてない)荷物の詰め替え作業をする。その他、こわれやすいので手荷物にするというムヘメ用の太鼓を見て「機内持ち込み荷物が多すぎる」と言われるが、のらりくらりしながら、何とか突破する。ここまでで汗だく。先が思いやられるような‥。

 今回、初外国、初飛行機の新鋭18歳のバハティが
「こいつ、初めて飛行機乗るから泣くよ~」
と他のメンバーたちにからかわれていた。泣かなかったけどね。





関空に着いた!!
11月12日(水)

 ドバイでのトランジットも無事過ごし、予定通りに16:30ころには関空着。皆、元気そう。しかし、入国審査にすごく時間がかかった。日本のパスポートを持つわたしは5分で通過したが、外国人は長蛇の列で待たされた上に、指紋を取られるわ、写真を撮られるわ、いろいろ質問されるわで、時間がかかる。最後のメンバーが出てくるまでに50分はかかったかな。日本を観光国にしたいというのだったら、もう少し考えて欲しいものだと強く思ったね。

 その上、持っている荷物についての書類なども書かなければいけなかったため、空港から出たのが、18:30ころになってしまった。林原財団の中川さん、サカキマンゴーさん、しろうくん、まゆみさんなど待っていてくださった皆様、ごめんなさいとありがとう。

 楽器などを車に詰め込み、バスとタクシーを乗り継いで京都は立命館大学のセミナーハウスで宿泊。お疲れの一日でした。


11月13日(木)

 伝統的な舞踊をデジタルデータ化して後世に役立てるという試みのためのデジタル記録の日。立命館大学の遠藤保子先生の音頭の元、ムヘメ、マウィンディなど、タンザニアの主なダンス6種類から、特徴的な踊りを2つずつ取り出して、記録することに。

 

シェタニのよう?
午前中は、普段着のまま、太鼓とともにどの部分を切り取るか、全員で踊りながら、決める。録画、録音もした。
 寒さを覚悟してきたのだが、半そででもいいくらいの陽気なのでとても助かる。  お昼すぎ、ムサフィリとペンドは大学の授業にマンゴーさんとともにダンスの講師?として参加。他のメンバーは順番に黒装束に身を固め、デジタル記録のスタジオへ。白いマーカーをたくさんつけた姿はタブに言わせると「川にすむシェタニ(精霊)のよう」だとか。ちょっといや、かなり不気味?
 これをつけて踊るとコンピューター上に、線で書いた人間が踊っているようなのが見えるのだ。360度好きな方向から踊りを再現することができるのだって。

 一人ひとり記録して行かなければならないので、深夜までかかるのでは‥と心配されていたが、のみこみのはやいCHIBITEメンバーたちの記録は着々と進み、18:30ころには終了。
 晩御飯にククナチップスを所望する彼らのため、Mさんがケンタッキーフライドチキンの買出しに‥。これから食事には毎回悩まされることに。ちなみにこの日の朝ごはんはカップヌードルだった。


11月14日(金)

 デジタル記録も無事に終わったので、この日は午後から伊丹への移動のみ。朝、しろうくん、ちえさん、まゆみさんが来てくれて彼らと河原町などに繰り出すことに。わたしは事務仕事などのため、立命館に残る。夕方伊丹のホテルで合流しようといっていたのに、昼ころには皆さん、ご帰還。疲れた模様。でも、チークなどはしっかりカーキ色のすてきなリュック鞄(5,000円なり)を買ってきていた。  ちょうど迎えに来てくださった伊丹アイフォニックホールの大型バスに荷物を移し、立命館を出発。いろいろと手伝ってくださったIさん、運転手さん、アイフォニックの西さん、ありがとうございました。


11月15日(土)

 いよいよ大きなホールでの公演の日。
 伊丹シティホテルはすてきなホテルで、朝食もブッフェ形式で和洋取り揃えて選べた。自分のお金はあまり食べ物に使いたがらない彼らも、そうでなければもりもり食べる。しかし、朝からフライドポテトなどをたんまりと選んで、その他の野菜はほとんど食べないのが困りもの。タンザニアにいるときは、トマトベースのムチュージ(シチュー)を毎回食べているから野菜は大丈夫なんだろうけど。

 

©伊丹アイフォニックホール
 10:00からFMCOCOLOの英語インタビューの入っているムサフィリ以外は朝食後、公演の準備作業のため、ホールに。ダハニは楽器の調律に時間がかかるのが心配らしく、早くホールに入るのだと前日から言い続けていた。

 ホテルの部屋で在日12年というオーストラリア人のインタビュアーの「日本は何度目か?」「楽器はどうやって作るのか?」などの英語の質問にムサフィリが答える。ブロークンではあるが、思ったよりも話せるので、感心した。
 インタビューの後、わたしとホールに向かう道すがら、ムサフィリは、
、 「CHIBITEのメンバーのほとんどは英語ができず、世界に出て行く際にはハンディになる。それではいけない。自分は、英語はもちろん、ほかの勉強ももっとして、それを基盤に音楽活動を続けて行きたい」
と語るので、結構しっかりしたやつだったんだと見直した。

 さて、ゼゼやリンバの調律も終わり、いよいよリハーサル。伊丹アイフォニックホールのスタッフの方たちがてきぱきと準備をしてくださる。舞台監督(ブタカン)はサカキマンゴーさんである。
 それにしても広い舞台、天井も高く、音が響く。生音、生明かりが、アイフォニックの信条だそうだ。

 いざ本番になるとCHIBITEたちの表情も体もきりっと引き締まる。一歩舞台に踏み出すと躍動するからだと満面の笑顔があらわれる。幕間の着替えや準備のドタバタは決して引きずらない。さすがだ。
 大きな舞台の初日なので、舞台裏から見守るしかないわたしもどきどきしていた。
 客席はほぼ満席、あとから聞いたら294名のお客さんだったそうだ。
 CHIBITE自身でつくったプログラムはオーケストラ、楽器演奏、ダンス、笛の演奏など、強弱のついたなかなかのもの。笛の音でしっとりとした後は、迫力のあるダンスが続くという具合に。にぎやかなパフォーマンスの時には客席も沸いているのが分かる。

 舞台裏のモニターを見ていただけだけど、彼らのそれぞれのパフォーマンスが連なって一つの物語になっていると思った。ブタカンに言わせると「フクゥエ・ザウォセを髣髴させるような舞台だった」ということだ。それはちと褒めすぎじゃんと思ったけど、90分のプログラムが終わっても拍手は鳴り止まず、CHIBITEたちはアンコールのダンスのために再び舞台に繰り出した。



山陽さん太ホール
11月16日(日)

   昨日の公演後に岡山にバスで移動していた。本日は二つ目の公演である。 山陽さん太ホール。昨日と同じ90分プログラムだが、本日は林原財団の「林原フォーラム2008 アフリカにおける舞踊と社会」の一環なので、途中に遠藤保子さんのお話とサカキマンゴーさんの楽器の説明などが入る。

 昨日の彼らのパフォーマンスを見て安心、納得したので、今日はちょっと気が楽である。彼らもそうだろう。移動のバスの中で新鋭バハティはタブたちに「笑顔が足りないっ!」などと喝を入れられていたけど。初舞台にしては堂々たるものだったよ。
 舞台は昨日よりはこじんまりとしていて、チークによると「走り回らなくていいので、この大きさのほうがいい」とのことだった。
 本日のブタカンは遠藤さんの後輩だという笑顔のすてきなチエコ先生。チエコ先生が連れてきた学生さんたちがもう、感動するくらい働き者だった。
 ほぼ満員の客層は、年配の方と子どもたちが多かった。CHIBITEグッズなどの物品販売もボランティアの人たちの力を借りて行っているのだが、昨日に比べて今日は大物(なぜかムサフィリが持ってきたマコンデ彫刻のキリンなど)が売れ線だそうだ。
 リンバ演奏のときは、客席後方から奏者が出てきて、会場をまわったりして、客席は沸いていた。舞台の照明も夕焼けや深い海の色などで美しかった。ムサフィリの木琴も本日は、コミカルな味付けがしてあり、お客さんに受けていた。
 問題の食事もお昼はバーガーとチップス、晩はホテルのレストランでブッフェと林原のかたたちがご馳走してくださった。そうであれば、彼らのよく食べることよ。でも、たくさん食べるのはいいことだ。体力、気力を蓄えてくれたまえ。



スポーツ人類学の授業
11月17日(月)

 再び京都へ移動の日。立命館大学の授業でワークショップをするのだ。バスで移動していると10:30からの授業に間に合わないということで、その授業の担当のアンドレア、チーク、わたしは新幹線で先乗りすることに。方向音痴のわたしのために、ちほさんがホテルから駅まで車で送ってくれて助かった。(前日には日本人がわたしをふくめ、3人もいたにもかかわらず、ホールからホテルへ帰る道、本来ならばたった徒歩5分くらいの道を迷って1時間くらいかかって戻った。なぜ?公演後で疲れていたにもかかわらず、文句は言ってもぶーたれずにずっと一緒に歩いたペンドとンデークワはえらい!わかんなくなってンデークワのこっちだ!という方向に歩いて余計迷ったわたしたちは、いったい?)

 スポーツ人類学の授業では、チークが太鼓を叩いて、アンドレアがシンディンバなどの踊りを披露し、学生たちにもやってもらうことに。最初、学生たちがおとなしいので、大丈夫かなと思ったけど、ダンスワークショップには皆、参加し、アンドレアのイリンバ演奏の後には、興味深そうに楽器を覗き込んで質問してくる人たちもいたので、よかった。アンドレアの英語でのダンス指導もなかなか様になっていた。

 午後のスポーツ方法論の授業にはタブ、バハティ、マンゴーさんが出向いた。
 本日最後の3回生演習では、翌日の午前中の公演で発表する、学生たちとCHIBITEとのコラポレーションで何ができるかを遠藤先生とともに話し合う。バトンやストリートダンスの名手、ヒューマンビートボックスの学生たちとダンスや太鼓のセッションという形になった。ミスマッチのようなところも見どころであろう。

 宿泊は京都の花園会館。仏教系の会館らしく、受付にもお坊様のような方がいた。
 「お腹が空いていない」というメンバー数名は宿舎に残して、近くの定食屋さんに繰り出す。チキンカツ定食味噌汁ご飯漬物付き650円と安い!朝もお昼も軽くパンなどしか食べていなかったチークはオムライスだけでなく、単品でから揚げも取るという頼もしさ。バハティは18歳の食べ盛りらしく、定食をきれいに平らげた後、生野菜やご飯など、他の人が嫌いなものや残したものを一手に引き受け、食べつくした。惚れ惚れするくらいの食べっぷりであった。



子どもたちと一緒に踊る!
11月18日(火)

 午前中は国際交流会館で障がいをもった子どもたちへの公演。昨日の学生たちとのコラポレーションも披露する。小学生が120から130人くらいいるだろうか。車椅子の子どももいる。CHIBITEの演奏は、オーケストラから始まった。コラポレーションを間に挟みながらムヘメへと続く。
 子どもたちの反応がすごく気になった。 座ったまま体を乗り出し、動かし続ける子、太鼓の音が響きすぎるのか耳をふさいでいる子、舞台に一緒に乗りたくてうずうずしている子、口をあけたまま舞台に見入っている子、などそれぞれが興味深そうな感じなので、嬉しかった。
 ストリートダンスやバトンも子どもたちに受けていた。
 最後のワークショップでは掛け声の「ポア!」(=「クール」という意味のスワヒリ語、若者たちの挨拶の答えによく使われる)が会場に元気よく響いていた。

 午後は立命館大学の大学院の授業に全員で参加。少人数の授業だったので、楽器の紹介、ダンスの紹介、質疑応答、ワークショップなど、顔を突き合わす感じで行った。ムサフィリが英語で通訳する場面も。

 晩御飯はまたケンタッキーフライドチキンが食べたいという面々にしろうくんやちえさんが付き合ってくれた。



これから昼宣
11月19日(水)

 京都文教大学へ移動。この間、ずっと同じ大型バスでの移動である。運転手のSさんにはとてもお世話になった。
 大学内の200人は入れそうな大きなホールで公演を行うことに。しかし、これも授業の一環ということだった。9月に同大学の上田富士子先生に率いられ、タンザニアにスタディツアーに来ていた学生さんたちが、飲み物や食べ物を用意してくれたり、学内を案内してくれた。彼らはタンザニア熱いまだ覚めやらずといった感じだそうだ。

 リハーサルの後、学食での昼食後、学食前の広場で、コンサートの呼び込みのために太鼓を叩いて踊る。秋晴れの高い空に太鼓の音が良く響いた。学生たちが寄って来たが、残念ながらチラシなどが足りず、どれだけ宣伝効果があったか‥。  北風が冷たい日だったけど、ペンドは靴下なしのサンダル履き。飛行機の中でもらった靴下をどこかでなくしたらしい。チーク、ンデークワもずっと靴下にサンダル、または素足にサンダルであった。めっちゃ寒い日はほとんどなかったので、風邪をひかずにすんだようだけど。

 コンサートの会場は、3、40人いるかなって感じで、ちとさびしかったが、来ている人たちは、「これが観たくてきたんだよ!」っていうような人たちが多く、会場の雰囲気は熱かった。
 60分の公演の最後には観ていた学生さんたちの多くが舞台に上がってきて、一緒に踊った。ダンスはなかなか終わらなかった。

 この後、皆さんに手伝っていただきながら、楽器などをバスに詰め込み、一路東京へ向かう。バスの中で、アイフォニックホールが早くもくださった公演のDVDを皆で、鑑賞する。最年長55歳ダハニのコミカルなしぐさが演奏を引き立てているんだなと再認識。さすが今回の団長である。ムサフィリがイリンバ演奏のときにコフィア(頭に被る羽の付いた帽子)を被り忘れていたのが白日のもとに。

 ネオンサインのきらめく東京には午後10時ころ到着。東京ということでちょっと興奮気味のメンバーたちであった。



東京でムヘメ!
11月20日(木)

 午前中、会場の青山学院へ移動。総合研究棟の12階大会議室が本日の会場。 前半はタンザニア、ケニアの大使のパネルディスカッションがあるので、いつもとはちょっと違う雰囲気。舞台は狭い。100人くらい入るだろうか。楽屋も小さめで、楽器を置くために下の階との通用扉を開けておくと、下の階の方に楽器の音がうるさいといわれるので、ちょっと往生した。 

 来場者はCHIBITEに関わる人、タンザニア関係者、音楽関係者が多かったもよう。それはそれで盛り上がったけれど、せっかく東京でするのだから、あまりタンザニア、アフリカとは日ごろ縁のなさげな人たちにももっと来てもらいたかったなという気持ちは残った。
 コンサート終了後も、熱気覚めやらずのメンバーやお客さんたちであった。

 今回の共催者である毎日新聞社の朝比奈社長にご挨拶に毎日新聞本社へ。歓談中にこのビルの中にある「アラスカ」というレストランのカレーは東京一おいしいという話が出て、ご馳走していただけることになった。
 白いテーブルクロスに銀の器に入って出てくるカレーはとてもマイルドな味で、タンザニアのムチュージ(シチュー)にも通じるところがあり、CHIBITEのメンバーもお気に入りだったようだ。
 ここでお世話になった林原財団の政木さんと阪上さんや、遠藤さんとはお別れ。CHIBITEたちは、即興の感謝の歌で別れを惜しんでいた。



カレーおいしいよ~
11月21日(金)

   フリー!!の日。しかし、夜までには京都に戻らなければならない。22日には最後の宇治市での公演120分が控えているので、午後2時には東京を出ようというわたしの提案に対し、アンドレアが
「僕たち、せっかく東京に来たのだから、ゆっくりと観てまわりたい。午後4時ころの出発ではどうか」
と言い、ほかのメンバーもうなずくので、そういうことに。京都着は午後10時ころになるだろうけど。
 ひろこさん、ちほさん、まじまんぴさん、ゆきえさん、やすさん、あやさんたちが来てくれたので、CHIBITEを二組に分けて送り出す。彼らの目当ては両替と、100均ショップのようだった。わたしは新宿近辺でおいしいラーメンをひとりでのんびりといただいた。
 待ち合わせ場所の新宿のホテルのロビーに午後2時ころ戻ってくると午後4時まで出歩きたいと主張していたアンドレアたちはすでに戻ってきていた。疲れたらしい。
 下北沢近辺まで遠征したというもう一組が4時ころ戻ってきて、一路京都へと出発。


< 11月22日(土)


和太鼓に挑戦
   最後の日。宇治市文化センターでの公演のあと、交流会があり、そして関空から本日発つという強行軍である。
 風邪気味やお腹が痛くなったりした者はいたけれど、よくここまで大きな病気や怪我もなく、スケジュールの遅滞もなく、うそのようにスムーズにこれたものだとしみじみ感動してしまう。最後まで大丈夫でありますよう。

 バスの運転手のS青年は、楽器などの積み込み、積み出しのときなどにもとても良く手伝ってくれる。世話焼きペンドは、お菓子などをバスの中で分けるときは必ずSさんにも渡していた。しかし、Sさんには、サカキマンゴーとか怪しげな名前の日本人も一緒にいる、このにぎやかなタンザニア人たちが何をする人たちなのか、ずっとよくわかっていなかったらしい。わたしも青学のときなど、コンサートを見に来てねと誘ってはいたのだけどね。いよいよ本日は公演を観にきてくれるという。これで正体がばれる‥いや、わかってもらえることだろう。

宇治市文化センターは大小のホールがある立派な建物なのだけど、とてもアットホームな雰囲気。乾館長はじめ、スタッフの皆さんがいろいろと準備のために動いてくださり、細かい相談にも気軽にのってくださる。当日になってプログラムの変更が発覚し、舞台のスタッフの方に怒られたが、終わりよければすべてよしって感じで、最後には「いい舞台でした」と、笑顔で言ってくださった。

 ほんとうにいい舞台だった。400人近く入るホールはほぼ満員。公演が始まり、カゲアナ(舞台の袖でアナウンスをする人)だったわたしは、舞台の袖から覗いていると、前方に座っているノリノリで笑顔満面の青年が見えた。そのそばの女性たちも体が動いて止まらないみたい。
 途中で抜け出してホールにそっと入り、客席の後ろに立ってステージを眺めた。

バハティ。しかしこれはリハーサルです。
ちょうど太鼓が主役のプログラム「ワシリ マリ ヤ ムニョンゲ」だった。ペンドとバハティが舞台の中央で太鼓を歌いながら太鼓を叩いている。ダンスもそうだけど、太鼓を叩くのもすごく体力がいるのだろうなと、いつも舞台袖から見ていて思っていた。真剣な顔をして音を刻むバハティ。笑顔が足りない、歌声が小さい、と言われながらも、ステージを踏むごとに自信をつけていったのだろう。

 その日のステージでは、バハティの白い歯が見えたのだ。近くにいたしろうくんに「おいおい、バハティが笑っているよ」と、思わず報告せずにはいられなかった。感動を分かち合いたくて。海外がはじめて、大きな公演をいくつも続けてこなすのもはじめてだったバハティが、日本最後の公演で笑ったのだ。
 タブ、チーク、ンデークワが腰を揺らしながら舞台に現れた。彼女たちの笑顔もまぶしい。彼女たちだってほかのメンバーだって今回の日本公演でひとまわりかふたまわり大きくなったはずだ。支えてくれる多くの人たちに出会い、客席の盛り上がりを感じ、自分たちはまだまだ伸びていけるのだと再確認したことだろう。チャールス、観てごらんよと、「千の風」になっているはずのチャールスに心の中で呼びかけていた。きっと驚いてとっても喜んで安心して、自分が一緒にいない分だけ、ちょっとだけ悔しがることだろう。(チャールス・ザウォセ:2004年に30代の若さで亡くなったCHIBITEのリーダー的存在だった人)

 ステージが終わった後、市民ホールの中でブレイクダンスの子どもたちや、和太鼓のみなさんと交流し、セッションし、またフライドチキンを食べ、興奮冷めやらぬままバスに乗り、関西空港へと向かったのであった。

 また来るときはもっとおっきなCHIBITEになっているからね。
 これからもよろしく!

お世話になった皆さま、本当にありがとうございました。

                        (2009年1月1日)


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