ダルエスサラーム便り

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タンザニアからの手紙 No.45

そよ風のように?利光徹さんがタンザニアを行く!



金山 麻美(かなやまあさみ)



  キンゴルウィラ村にて  『そよ風のように街に出よう』という障害者の地域自立を呼びかける雑誌がある。とてもすてきな雑誌名だと思っていた。今回タンザニアにやって来た利光徹さんは『そよ風のように世界に出』ているんじゃないかな。

 利光徹さんの車椅子がキンゴルウィラ村の赤土の上を行く。未舗装道路なので、「そよ風」というよりも「ホコリ舞う」という感じだけど、子どもたちが車椅子に触りに来る、村人たちと挨拶を交わす。

 利光さんは脳性まひ者の自立・解放を目指す※1「全国青い芝の会」の書記長をしていたこともある。九州の福岡で同じ障害をもつ妻と大学生の息子さんと「多くの介助者たちにささえられながら暮らしている。そして利光さん夫妻もいろんな意味で多くの人たちのささえになっている」※2

 今回、「アフリカに行ってみたい」という利光さんと10人の仲間たちがツアーを組んでタンザニアにやって来た。  タンザニアの障害者と交流したいという目的もあるけれど、多くの日本の障害者たちが欧米、北欧という「福祉先進国」に行くのに対して「アジアやアフリカに行きたい」という思いがあったそうだ。それをしつこく?言い続けて、10年前にインドへ行った。南インドの農村で生きる障害者たちと出会って来たそうだ。  そして今回はタンザニアへ!

キンゴルウィラ中学校にて  タンザニアでは、まずモロゴロのキンゴルウィラ村へ入った。畑を歩き、中学校を訪問した。中学校では、利光さんのスピーチに生徒たちが聞き入り、活発な質問(日本における障害者の教育のことや、どうやって子どもを作ったのか?ということまで!答えは「皆さんのお母さん、お父さんと同じだよ」)もあった。

 中学校には、障害を持った生徒も数名いるそうだが、今回は学校の模擬試験期間に入っていて2年生と4年生しかいなかったため、直接交流することはできなかった。また、HIV/AIDSで両親を亡くした生徒たちも複数在籍しているという。

 村で揚げキャッサバを売って生活している脳性まひ者や、孫と一緒にいた盲目の人、靴修理の仕事をしている手漕ぎの車いすに乗っている人などに出会った。

盲目の人とその孫と  障害をもった人同士の繋がりを作る前に、南と北の経済格差や援助の構造が立ちはだかってしまうこともあった。「その日の生活にも困ってしまう。靴修理の材料が買えない」という靴修理職人には、利光さんが障害を持った仲間としてではなく、金持ちの国からやってきた「援助してくれる人」に見えてしまう。

 「障害を持つというだけで、家の中から出してもらえない障害児たちもいる。また車いすが手に入らないので、学校に通うのが難しい子たちもいる」とキンゴルウィラ村小学校の先生が言っていた。根深い問題がいろいろある。

 日本における障害者のおかれている状況もまだまだ厳しいと思うけれど、利光さんたち障害者自身が頑張り、それによってまわりの人々も動かされ、少しずつ状況を変えてきた。

 利光さんを入れて20歳から72歳までの11人のメンバーたちは、そのそれぞれが利光さんとの関わりを持つ人たちだ。

 大学在学中に、大学に毎日来て障害者問題を訴えたり介助者を募集したりしている変な車椅子の人がいる、というところから関わりをもった人、大学の講義に利光さんが乱入して、講義の批判をしたことから、つながりを持ちはじめたという人、などいろいろだけど、利光さんという存在を中心に集まってきたメンバーなのであった。

 まずは、仲間たちと支え合いながらタンザニアを旅行している利光さんの姿を見て、タンザニアの障害者たちはもちろん、そうでない人々も、なんかおもしろそうな集団がいる、この人たちはなんなのだ?と思ってくれたらしめたものなんじゃないかな。



 旅の中で利光さんは積極的にタンザニアの障害者たちと出会っていった。

 タンザニア出発の前日にはダルエスサラームのスリップウェイから街の中心まで約6kmの道のりを歩き、道路脇や中央分離帯などで物乞いをしている障害者たちと対話してきたそうだ。彼らの現在の生活のようすから、学校教育のこと、日本の障害者のことなどを話し合ったという。

 さて、そこから何が見えてくるのだろうか。お互いに新しい何を生み出すきっかけとなるだろうか。  タンザニアとの、タンザニアの人々との、タンザニアの障害者たちとのよりよい関係性を築くにはどうしたらいいのだろうか?

CHAWATAにて  タンザニア障害者協会(CHAWATA)のダルエスサラーム事務所を彼らとともに訪問した時、事務所の代表のエリアスさんは「みなさん、日本でもそれぞれ離れたところに住んでいるようだけど、どこで利光さんと知り合ったのだね?」と。エリアスさんは、彼らの一方的ではない助け合いの関係性に驚きながらも、うらやましそうであった。

 一方的な援助するされるという関係性ではなく、お互いにお互いを必要とする関係を作っていけたら…。障害者とそうでない人との間だけでなく、女と男も、南の国と北の国も…。

 旅のメンバーたちはそれぞれ毎日旅の記録をつけていたようだ。利光さんも口述筆記を日課にしてた。出会って考える旅ーというのが今回の旅だったようだ。みなさんそれぞれが何を持ち帰って、それがどう実っていくのか、楽しみだ。

 その記録をまとめて、出版を目指すのだって。(印税でまた海外へ!?)それも楽しみ。

 ※1「青い芝の会」は、脳性まひの人たちの自立・解放を目指す脳性まひ者だけの運動体だ。障害者が現代社会から「あってはならない存在」とされつつあることを自ら認識し、そこを運動の原点として、意識的、社会的変革を目指している。なかなか過激な運動体なのだ。わたしは学生時代に「横浜青い芝の会」のメンバーと接する機会があり、今まで自分の意識が根底から覆されるような思いをしたことがあった。

 ※2 「自立と相互扶助をめざすインドの障害者たちと日本の障害者運動のリーダー利光徹さんが南インドの村で出会った…その交流の記録」制作・MTK(インドの森の民とつながる会) まえがき 楠原彰 より(今回、利光さんとジャタツアーズをつないでくれたのは、わたしと夫の反アパルトヘイト運動の同志であり、先輩であった楠原彰さんだ)

☆このお話はわたしのブログ「タンザニア徒然草」にアップしたものを再構成したものです☆

                (2011年10月1日)


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