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タンザニアからの手紙 No.59

『マイケル・K』 「土のように優しくなりさえすればいい」




金山 麻美(かなやま あさみ)



 不思議な小説だった。
ほとんど日の当らない人生を生きてきた母と息子=マイケル・Kの話から始まる。
家政婦をして生計を立ててきた母親は病気で寝たきりになり、雇い主の「お情け」であてがわれていた部屋で過ごしていた。口唇裂のあるKは頭の回転が遅いと言われていて、庭師の仕事をしているが「一人でいるときがいちばん気楽だった」。30歳をすぎても女友達はいなかった。

 暴力的な事件がKを襲い、母親は、病状が悪化して「刺され、殴られ、銃で撃たれて苦しむ患者でごった返す病院」に入院を許可されるが、廊下に放置され、無視され続ける。  治療も受けられずに退院した後、ふたりが住む町が破壊されていく。軍のジープが若者を轢いたことから群衆が暴徒化し、警察と鎮圧部隊まででてきて、銃撃戦となったのだ。建物もボロボロにされ、母親の雇い主たちも逃げ出してゆき、ふたりは取り残される。

  すごい出だし。息つく間もなく、すさんだ出来事が立て続けに起きる。仕事を終えて、夕食後のほっとしたい時間に読むにはそぐわない本だ。世界情勢も大変な昨今、フィクションでまで大変な事件を目の当たりにするのはたまらないなと思ったけれど、不思議とページをめくる手が止まらないのだ。

`マイケル・K  南アフリカの小説家、クッツェーの作品を読むのは、初めてだ。この「マイケル・K」は、文庫版にするにあたって初訳を全面改訳し、さらに加筆した決定版だそうだ。読みやすく滑らかな文体である。
 1983年に発表された作品というから、アパルトヘイト体制の中、検閲ももちろんあったという。あからさまな表現はないけれど、暴力で支配されていた体制が見えてくる。戦争の愚かしさ共に。

 最初の舞台はケープ州で、マイケル・Kは徒歩で400km以上離れたプリンスアルバートに向かう。母親の故郷らしい。移動するための許可証もない旅だ。旅立ちの時は母と二人だったが、たどり着いた時にはK一人になっていた。

 母にとってのK、Kにとっての母親とは?という大きなテーマがあるようだけど、わたしにとってのこの物語の圧巻は、Kがキャンプから逃亡し、再度プリンスアルバートに戻ってからの日々だ。誰もいない農場での、一人きりのプリンスアルバートでの日々。

 「自分はあとに形跡を残すような重いものではなく、何かもっと、地表の微小片のようなものだ。蟻の足が引っ掻いても、蝶が歯を立てても、土埃が舞い上がっても気付かないほど、深い眠りについている何か」

 「耕して植える、そう心に決めてきた楽しみを思うと疼くような気持ちに襲われ、住みかを作る作業をとにかく早く片づけてしまいたいと思った」

 「次の世代に残す家をたてているわけではない。俺が作るものは粗雑な、一時しのぎのシェルターで十分、心の琴線に触れることなく遺棄されるものであるべきなんだ」

 そして住みかを作る作業(それだって3日はかかった)や大地にカボチャとメロンの種子を蒔き、世話をしている間、Kは空腹感がなく、食欲もわかないのだった。
 衣服はぼろぼろで、骨と筋肉だけの肉体に喜びを感じるようになる。肉体を死なせないために昆虫など見つけたものを手当たり次第口に入れる。

 Kのひそやかな暮らしも、誰かに見つかったりしたら、続けていくことは到底できない。いつも人の気配を気にしていなければならない、という切なさがある。さもないと、労働キャンプにぶち込まれてしまうだろう。
 それとも戦争中だったからこそ、ひとりで自足する暮らしを選んだのだろうか?

 Kが育てた最初のカボチャを焼き網の上で焼いているときに「突然、感謝の念が胸にあふれるのを感じた」という。「ついに成就されたのだ。(中略)あとは、残りの人生を、自分の労働によって大地から産み出される食べ物を食べて、ここで静かに暮らしていけばいい。土のように優しくなりさえすればいい」カボチャを口にする前に感じていたこと。

 ロビンソン・クルーソーを思い出した。でも、大きな違いはKは、自らこうした暮らしを選んだということだ。ロビンソン(こうなったのも神の思し召しとか感謝とか言い始めたので、途中までしか読んでないけど)は、できるだけ漂流前の生活に近づこうとし、島からの脱出を諦めていなかったけれど、Kは自ら望んでやってきたのだ。

 「好きでもない労働からあちこち盗むように再利用する自由時間ではなく、花壇の前にしゃがんで指でフォークをぶらぶらさながら人目を盗んで楽しむようなものではなく、時そのものに、時の流れに身を委ねるような、この世界の地表いちめんにゆっくりと流れ、彼の体を洗い流し、脇の下や股下で渦を巻きながら瞼をゆするような時間、そんな時間に身を委ねる怠惰」

 家族もいらない、お金もいらない、ただひとりで、大地を耕し、種をまき育てる。食べ物も死なない程度にあればいい、彼は彼であり、ほかの何ものでもない。ただ生きる。

 そいういう生き方も選べるのだという驚きと羨ましさ。
 どこかで人生とは何かを成し遂げなければいけないものだと思いこんでいたのかもしれない。そうじゃなくていいんだね。肩の凝りがすこし軽くなったような。

 でも、その生活は長くは続かず、Kは病気になり、発見され、反逆分子の一味とされてしまう。だけど、ずっとカボチャの種入りの袋を大事に持ち続けていた。

 そして物語は、第2章へと続いてゆく。

 けれども、もし、差別構造を是とする暴力的支配体制(=アパルトヘイト)のない、平和で寛容な世界にいたら、Kはもっと別の生き方を選んだのかもしれないなとも思えてきた。Kという人間のしなやかさは変わらないとしても。

 
  『マイケル・K』 J.M.クッツェー作 くぼたのそみ訳 岩波文庫

                                                         (2016年2月15日)


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