ダルエスサラーム便り/特別寄稿


山田 智穂(やまだ ちほ)

12年ぶりにタンザニアで暮らして




12年ぶりにダルエスサラームで生活して、ちょっとした浦島太郎の気分を味わっている。

2005年に帰国してから2回ほど旅行で訪れてはいたので、高層ビルが増えたり、道が舗装されたりと、街の変化には気付いていたつもりでいたのだけど、実際に住んで生活してみないとわからないことがたくさんあるものだ。


<ダルエスサラームの街中>

ダルエスサラーム空港について早々、街の中心部に向かうのに、ひどい渋滞に巻き込まれる。特に到着した5月は大雨季真っ只中だったこともあり、まったくすすまない。渋滞がなければ30分ぐらいのところ、結局1時間半もかかってしまった。朝夕の通勤ラッシュの渋滞は特にひどいので、夜が明ける前まだ真っ暗の5時、6時、もしくはもっと早くに家を出る人がたくさんいるようだ。これでも、今年になって「Mwendo Kasi(ムウェンドカシ=直訳すると”高速”の意味)」という専用レーンを通るバスが開通し、渋滞がだいぶ緩和されているらしい。切符のQRコードをかざして改札を通る。デジタル表示で行き先の書かれたバスがホームにすーっと止まって、乗客がを乗せるとまたすーっと走り出す。次の停車駅を知らせる女性の声の機械アナウンスを聞いていると、ここは本当にタンザニアだったっけ?という気分になる。コンダクターがコインを手の中でチャリチャリして、特有のしゃがれ声で行き先を連呼しながら進むローカルバス「ダラダラ」とはまったく別ものだ。乗り物でいえば、「バジャジ」や「ボダボダ」とよばれるバイクタクシーも、12年前には存在していなかったもの。飛行機会社も倍以上に増えているし、交通手段はずいぶんと多様化している。


< Mwendo Kasi>


< Mwendo Kasiの切符>

ちなみに、Mwendo Kasiの運賃はTsh650。ダラダラの運賃は現在Tsh400で、12年前にはTsh200だったので、倍に値上がりしたことになる。当時、Tsh500ほどで食べていたワリニャマ(ごはんに牛肉のムチュジ、野菜、豆が添えられたもの)が今ではTsh2500ほどになっている。なかなかお金の感覚に慣れず、お財布からお金が猛スピードで逃げていくように感じる。いつのまにかTsh500コインが現れていて、今ではほとんど見かけなくなった緑のTsh500札をお釣りで渡されたりすると、久しぶりの友人に再会したような気分になる。


< Mwendo Kasiの駅>


< Mwendo Kasiの車内>

レストランにも見慣れないメニューができていた。以前は鶏肉といえば「地鶏」のことで、これが一般的なお肉の最高級品だったが、今では「ブロイラー」が登場し、これなら牛肉と変わらない値段で食べられるようになっている。私が初めてタンザニアに来た時に衝撃を受けた卵の白い黄身も、最近では黄色のものが増えてきているらしい。以前はごく限られた場所にしか売られていなかった豚肉も、少し大きなスーパーに行けば手に入るようになった。畜産事情にもだいぶ変化があったのだろう。人によっては、油や砂糖を節制していたり、ウガリの粉も精白されたものより全粒粉を好んで使っていたりと、健康志向も高まっているようだ。そういえば、朝、歩いて通勤していると、ウォーキングやジョギングをしている人もたくさん見かける。12年前にはほとんど見かけなかった光景だ。スポーツジムに通っている人たちもいる。

ただ、その割には、昔からの友人知人たちの8割以上が、かなり大きなシルエットになった気がする。。。特に女性の変貌ぶりは、、、こうして少女がママになるんだなぁ、、、と思わず感心してしまう。そして、当時可愛がっていた子どもたちは青年になっている。当然と言えば当然なのだけど、この時ほど12年間という時間の重みを感じることはない。すっかり立派な青年になった当時の子どもたちを見て、思わず涙腺が緩んでしまう私ももうすっかりおばさんなのだ。



この3ヶ月で私が気付いた変化はきっとほんの氷山の一角で、この12年間で、もっともっとたくさんのことが少しずつ変化してきたのだろう。

一方で、変わらないこともたくさんだ。どこにいても、そこかしこから聞こえてくる楽しそうな笑い声。知り合いでなくても、すぐに会話が始まる人と人との距離感。大雨季にはすぐに川と化すでこぼこ道。時間通りには始まらない結婚式。揚げたてのアンダジ(揚げパン)やキャッサバのおいしいこと、道端で売っているオレンジのみずみずしいこと。健康を気にしている人たちも増えたようだけど、ローカルレストランで出てくるごはんは、やっぱり油がたっぷりの大盛りごはん。バガモヨのCHIBITEの女性たちも、身体は倍の大きさになっていても、ダンスのキレ、迫力は健在だ。



これからもまたいろいろなことが変わっていき、それでも変わらないこともたくさんあるんだろうなと思う。


< JATAスタッフのディアナと智穂さん>

また近い未来、それほど浦島太郎にならないうちに、タンザニアを訪れたいと思う。





(2017年8月8日)






*JATAツアーズで2003年から2005年にかけてスタッフとして活躍してくれた山田智穂さんが 今回再び手伝いに来てくれました。前回の彼女のタンザニア生活の記録はこちらで見られます。
歴代スタッフのHabariの本棚
智穂さん、ありがとう。また来てね!!




トップページへ戻る