タンザニア隣国情報



ケニア



1.正式国名:ケニア共和国(Republic of Kenya)

2.首都:ナイロビ(Nairobi)313万人

3.元首:ウフル・ケニヤッタ大統領(Uhuru Kenyatta)2013年4月就任。

4.独立:1963年12月10日(旧宗主国イギリス)

5.人口:3,861万人(2009年)

6.面積:582,000平方キロ

7.言語:スワヒリ語が国語。英語が公用語。それ以外にギクユ、ルオ、カンバなどの民族語。

8.通貨:ケニア・シリング(Ksh)。2013年3月現在US$1=Ksh85。

9.ビザ:日本人には必要。ダルエスサラームのケニア総領事館(Mafinga St.)で取得できる。トランジットTsh20,000、シングルTsh50,000、ダブルTsh100,000、マルチTsh150,000。所要1日。写真2枚。

10.日本大使館:ナイロビにある。(ICEAビル、Kenyatta Ave.)

11.ケニアへの交通:非常に多い。
(1)空路:ダルエスサラーム、キリマンジャロ、ザンジバル、ムワンザからケニア航空、プレシージョン航空の直行便が飛んでいる。
(2)海路:ダルエスサラームからザンジバル、タンガ経由でモンバサまで。
(3)陸路:ナマンガ(アルーシャ~ナイロビ)が大動脈で、ナイロビから北部サーキット、キリマンジャロ登山へ向かう人が通過する。、タベタ(モシ~モンバサ)、ホロホロ(タンガ~モンバサ)が主要ルートで、それ以外にシラリ(ムソマ~キシイ)、キボウ(モシ~オロイトキトク) などがある。セレンゲティからマサイマラへ抜けるボロコンジャ・ルートは依然事前の許可が必要。
(4)湖路:ビクトリア湖を利用したムワンザ~キスムのルートは現在、定期船は走っていないが、可能である。

12.主な見所
(1)アンボセリ国立公園:キリマンジャロ山を裏側(?)から見る。キリマンジャロ山とゾウという定番は実はケニア側からの風景。
(2)マサイマラ国立保護区:セレンゲティの陸続き。乾季(7~10月)にはヌーの大群は草を求めてマサイマラに移動する。有名な川渡りは、マラ川で見られる。
(3)モンバサ:ケニア第二の都市で東アフリカ随一の港湾都市で島。ナイロビ鉄道の起点。古くからのスワヒリ都市国家という一面も残し、ポルトガルとの抗争の跡を残すジーザス砦や、オールドタウンが雰囲気を残す。都市の北と南にはビーチリゾートが展開する。
(4)ラム島:インド洋岸に浮かぶスワヒリ都市国家の代表的な町。今でも車がなくロバと荷車が行きかうのどかな町だが、70年代から一種ヒッピーの聖地のようになって観光化した。

13.簡単な紹介
 タンザニア、ウガンダ、ルワンダ、ブルンジと東アフリカ共同体(EAC)の構成国。タンザニアにとって最も密接な隣国と言っていい。独立後、経済発展の政策に違いがあり一時疎遠になったが、常に動向が気になる隣国である。観光、軽工業で従来東アフリカをリードしてきたが、ケニヤッタ、モイの二代の大統領の長期政権時代に、独裁化、腐敗の体質が強まり、国内が不安定になった。第3代目のキバキ政権が国内の融和、腐敗体質の払拭を達成出来るかが注目されていたが、さらに悪化した。
 2007年末の総選挙で、キバキは再選を果たしたが、その選挙結果の操作の疑いがもたれ、ナイロビやリフトバレー州で、民族対立を扇動する勢力によって、大規模な衝突が起こり、1,000人以上の死者、60万人以上の国内難民が発生した。2013年3月に新憲法下で総選挙が行なわれた。大統領候補としてウフル・ケニヤッタとライラ・オディンガが激突し、騒乱再びの危惧があったが、ウフル・ケニヤッタ(初代大統領の息子)が当選し、2013年4月段階平穏を保っている。

★追加情報★スワヒリ海岸・マリンディからモンバサへスワヒリ海岸・モンバサのオールドタウンわが隣国

☆写真集☆


 
(1) マリンディにあるヴァスコ・ダ・ガマ・クロス。ヴァスコ・ダ・ガマは1498年、このマリンディの土地で、水先案内人を得て、カリカットへ向かい、「インド航路の発見」を成し遂げた。それを記念して、翌年(1499年)に建立されたらしい。16世紀に現在の岬の突端に移されたという。岬では老人たちが釣りをしていた。 ヴァスコ・ダ・ガマ・クロス 
(2) マリンディの町の南側にあるポルトガル教会。海岸沿いのヴァスコ・ダ・ガマ・クロスの近くにある。1542年、インドから中国(最終的には日本に着いたが)を目指していたフランシスコ・ザビエルが航海の途上亡くなった水夫を葬ったといわれる。庭には英国人の墓などがあるが、教会としてもまだ使われている気配が微かにあった。 マリンディにあるポルトガル教会 
(3) ゲデ遺跡。マリンディの南10数kmにある巨大な遺跡。現段階で発掘されている中では、ケニア海岸のスワヒリ都市国家遺跡としては最大のものだろう。13世紀末~17世紀のものとされる。 ゲデ遺跡 
(4) マリンディとキリフィの間の幹線道路沿いに延々と広がるサイザル農園。これが一人のイギリス系ケニア人のものと言われると、呆然としてしまう。これが、ケニアの独立の形なのだ。ジンバブウェと違い「民族融和」を図ったといえば言えるが、植民地遺産を精算しなかったわけだ。さらに、このマリンディ~モンバサ間の幹線道路を走ると、独立の指導者たちが所有する広大なビーチリゾートが目に付く。 ケニアのサイザル農園
(5) モンバサの象徴タスクス。象徴というにはちょっと安っぽい感じする。独立前のエリザベス王女(当時)の訪問を記念して、作られたという。 モンバサのタスクス
(6) モンバサのフォートジーザス。ポルトガルによって1593~6年、建設された砦である。海の町(島である)モンバサを象徴するのは、こちらがふさわしい。 フォートジーザスの内部
(7) モンバサ・オールドポート。1000年以上にわたって、インド洋西海域のダウ船による季節風貿易の、重要な港として栄え、海外勢力と内陸とを結ぶ交易の拠点となっていた。 モンバサのオールド・ポート


(8) モンバサ・オールドタウンの彫刻されたドア。ザンジバルあるいはラム島にも多く現存する彫刻されたドア。アラブースワヒリ風のものとインドのグジャラート風と呼ばれるものがある。この彫刻技術(職人)は、今でも続いている。このドアはNdia Kuuにあった。
モンバサ・オールドタウンのドア
(9) モンバサ・オ-ルドタウン。政府広場にある最初の郵便局。19世紀末の建築。ウガンダ鉄道の建設のため、連れて来られたインド人が、故郷の家族へ便りを送ったり、送金したりしたのだろう。 モンバサ・オールドタウン
(10) モンバサのマッキノン・マーケット。オールドタウンの北西端、ニュータウンとの境に存在する。ザンジバルの中央市場と似通った雰囲気がある。以前は多くのインド系商人が商っていたが、今は一人だけだと教えられた。 モンバサのマーケット




ウガンダエチオピアモザンビークマラウィザンビアジンバブウェ
ルワンダブルンジコンゴ民コモロエジプトオマーン

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