サファリの記録

サファリの記録


  
*マハレ国立公園のチンパンジーサファリ*

その3(地元の人と会いました)


高崎和美さんより☆2012年9月


 3日目、9月19日
 マハレ国立公園訪問の楽しみの番外編は、田舎の人たちとの出会いです。日本人研究者が長年マハレに通ってきたこと、そしてその日本人と一緒に仕事をしてきたトングウェの人たちが国立公園のすぐ近くに村を作って住んでいることから、村には日本人に違和感のない人たちがたくさんいます。チャーターした船で国立公園に一番近いカトゥンビという村へ出かけました。

 私は1987年から88年の2年間、研究者の家族としてマハレに住んでいました。当時カシハにはまだ数十人の人が住んで顔なじみでしたから、このたび、その頃からの知り合いに再会したくて移住先のカトゥンビ村へツアーに組んでもらったのです。カトゥンビ村は当時も訪ねたことがあります。今回は、知り合いの家を訪ね、小学校に文具と本を少々届けることにしていました。

 前夜の打ち合わせで、小さいエンジンしか積んでいない船のため片道2時間かかるという話でしたから、お昼ご飯までに帰着するために、朝6時に出発して8時に到着、3時間ほど滞在して帰れば午後1時には帰れるだろうというプランです。

 赤道近くでは太陽は午前6時に出てまっすぐ天頂まで上り、午後6時に沈みます。タンザニアの西端であるためちょっと普通より日の出が遅くて、この日もまだ暗いうちにロッジを出発し、浜に向かいました。同行案内はコックのAさんとガイドのRくん。


Kさんのおうち。レンガ作り、中庭があり、鶏、水鳥の姿も見える。

 8時過ぎにカトゥンビ村の浜に到着。浜辺ではボートの音を聞きつけてか、すでに人だかりです。2時間も乗ってきたのでまずはトイレ。マハレ国立公園で働いている国立公園職員OBのKさんのおうちを訪ねてトイレを貸してもらいました。Kさんはちょうどマハレ国立公園内で短期の研究助手の仕事でお留守でしたが、奥さんがおられて対応してくれました。レンガを積んでトタンの波板の屋根を葺いた家で、中庭の小屋には収穫したアブラヤシの実がたくさん積み上げてありました。トイレはちょっと家から離れたところに小部屋に作ってあって、日本の伝統的トイレと同じく、しゃがみ式でした。


Kさん宅中庭に蓄えられたアブラヤシの実

 次に、学校です。知り合いの家に寄りながら丘の上の小学校に向かいます。独立式の教室が並んで建ててあり、その一棟が事務棟でした。


カトゥンビ村の小学校

 当日は小学校(7年)の卒業試験中のとのことで、試験中以外はがらんとして空き部屋でした。校長先生にご挨拶して知人から預かってきた文具・絵本などを寄付し、がらんとした教室を見せていただきました。モルタルの床で、長いすと長机が並ぶ教室。中には床のセメントがくずれて土台の土と岩がむき出しになっている部屋もあります。財政が悪くて修理が間に合わないとのことでした。

 「日本の草の根援助のおかげでトイレができました」と校長先生が言われます。たしかに、トイレとマンホールみたいなものがありました。並んだ教室をざっと見たところで、その規模から収容人数は2~300人と思われましたが、校長先生に聞いたら生徒の数は700人とのこと。たくさんの子どもたちが押し合いへし合い授業を受けているのかなあ。


試験中でがらんとした教室で校長先生と

 小学校訪問の次は、村の有力者のトングウェ人のおうちを訪ねました。1960年代に日本人研究者の助手をしていた人の名を継ぐムゼー(熟年男性)だというので、どんなおじいさんだろうと思いながら市場を過ぎておうちに向かいました。と、門口に立っている50歳ちょっと前とおぼしき男性は、私たちが25年前に初めてキゴマに着いたときタンザニア政府の野生生物研究所のキゴマ事務所で働いていたトングェ人青年Hくんではありませんか。たしかに1960年代にマハレで助手をした人の息子さん。髪には少し白いものがありますが、まだ二十歳くらいだったあの当時の面影はそのままでした。懐かしい再会でした。Hくんは、村のなかで、生活に余裕があるようです。部屋数の多いコの字型に家を建て、中庭に案内してくれます。群がってくる村の子どもたちの中でも、彼にまとわりついている彼の子どもたちはちょっといい服を着ているように思えました。トングェ人の仲間と協力し、トングェ文化を子孫に伝えるためにミュージアムを建設しようとしているのだということで、アブラヤシ畑のそばにある建設予定地へも案内してくれました。

 

Hくんのおうち。立派なレンガ作りでドアもたくさん

 村の畑は、24年前はキャッサバ畑が目についたと記憶しているのですが、今回はトウモロコシ畑が目につきました。そして、村の真ん中の小さな小屋では何かエンジンのような機械がうなりを上げていました。製粉機です。そして、その製粉機のオーナーがHくん。Hくんによると、「今はトウモロコシの栽培が多いよ。製粉機があるからね。昔は石ですりつぶすのがとても大変だったけど。石ですりつぶすという技はもうなくなったなあ。」とのこと。キャッサバは芋の一種で、乾燥させれば木の臼と杵で簡単に製粉でき、上手に料理すると日本のお餅のようでとてもおいしいのですが、収穫してからアクを抜いて乾燥させるまでの間の管理が難しい食物です。これに比べたら、トウモロコシは熟せば固く乾燥してそのまま保存がきき、きちんと製粉できれば、いつもおいしいのです。機械力がなかったころ、よく女性がキャッサバを臼と杵で粉についているのを見かけたものでした。半日の訪問中、キャッサバも見かけたけれど、臼と杵での作業は見かけませんでした。


人口増加中らしく増築中の家

 村人の現金収入源として大きいのは、アブラヤシとのことでした。そういえば村の周りを見回すと遠くまで続くアブラヤシ畑。最初におじゃましたKさん宅の中庭にはアブラヤシの実を積み上げた小さなあずま屋がありました。Hくんが「油絞り場を見る?」と案内してくれた浜辺には、ヤシ油絞り機を設置して油を搾り取る作業台がありました。脇にはアブラヤシの実をドラム缶でゆでる野外かまどがあります。実際の作業場は直径50~60センチくらいの円筒型の金属の器と、流れ出た油を誘導して別の器に受ける流路の仕組みだけ。おそらくガソリンで動く発動機式の搾取機を載せるのでしょう。高価な機械と思われたので、「機械は、使うときだけ出してきてこの上に置いて使うの?」と聞いたら「そうそう」と言うことで、実物は見ることができませんでした。機械で絞りやすくなればアブラヤシ栽培の意欲も昔よりモチベーションが上がっていることが想像されました。四半世紀前に別の村を訪問した際、木を組んだ巨大な人力圧搾機を人が歩いて回す共同作業で油を絞るのを見学したことを思い出したからです。すごく大がかりだったあの作業が機械力で簡単に。時の流れを感じました。


浜辺もアブラヤシがたくさん植わっている

 最後にHくんの家に戻り、ご家族と記念写真を撮っておいとまをしたら、11時過ぎ。岸を離れるボートに手を振ってくれた子どもたちの姿はとても素朴で、心が温まり、うれしかったです。


浜辺での別れ

高崎さんたちのこれまでの旅の記録はこちらから。
 

「すばらしい眺め キゴマからムワンザへプロペラ機で行く旅」

 

「チンパンジーに会う前の楽しみ」

 

「いよいよチンパンジー」





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