農村滞在



キンゴルウィラ村を訪れて・2011年8月

 S.Sasakiさんより



©宗川浩子
 今回一番楽しみにしていた、キンゴルウィラ村への道のりはバスで約3時間。
 3時間もあるのだから道中は少し寝っておこうと予定していたはずが、大地に転々と現れる土壁の家や畑の様子が気になって気になって、結局一睡もすることなくキンゴルウィラ村到着となりました。

 赤土の道を踏みしめながらお家に向かうと、早速あちらこちらに子どの姿。
 キャーキャー言って逃げてゆく子、お家の影に隠れる子。でもいつの間にかたくさんの子どもたちが集まっていて、子どもはどこの国でも一緒だなぁと、今までの緊張ぎみだった身体の力が、すっと抜けた気がしました。

 お世話になったご家族のこと、おいしかったお料理のこと、川や井戸での水汲みの光景、泥掘りから釜焼きまでのレンガ作り、訪問した小学校や中学校での時間、皆で自転車にまたがり、ひたすら土埃を上げながらまっすぐやでこぼこの道や川を渡ってたどり着いた広い広い畑のこと。どれもこれも思い出深く、感じたことはたくさんあるのですが、そんなキンゴルウィラ滞在の中でもとりわけ私にとって印象深かったことは、やはり一日ラマダン体験(断食)でした。

食を抜くということの体験はあっても、水分まで控えるというのはさすがに初めて。 いったいどんな自分になるのだろうか?とおそるおそる迎えた朝でしたが、たった一日にも関わらず、予想以上に多くの発見があったことにはとても驚きました。

 身体がとても重たく感じたこと、最初に飲んだ水が心地よく全身に行き渡ってゆく感覚、待ちに待った日没後のフタリ(最初に摂る軽い食事)のそれはおいしかったこと! どれもこれも断食前には想像出来なかった感覚ばかりで、身体というのはこういう風になっているのか.. と改めて実感した体験でした。

市場  みんなのトボトボとした後ろ姿や、家までの道のりが何倍にも感じたこと、何度も時計に目をやったを夕方の時間など..、今思い出すと笑えることばかりなのですが、お日様が沈んでゆくのをあんなに待ち遠しく思うことも、人生の中でそうそうないと思います。 これを一ヶ月も続けるムスリム教徒の皆さんは本当にすごいと感心するばかりですが、きっとこの時期を乗り越えた後のラマダン明けは、何倍もの喜びなのであろう..と想像することが出来ました。

 特に我慢の少ない生活に慣れている現代の自分の日常の中で、「一番欲するものを断つ」ということは、なにかしらとても大きい意味を持つように感じたと同時に、普段何気なく頂いている水や食事の有難さを、改めて痛感させてもらった体験でした。

そしてもう一つ、農村滞在の中で私の心に一際大きく印象に残った光景は、村の路上の出店に並ぶ、色とりどりの野菜や果物。そしてモロゴロの市場に並んでいた、山積みの豆やとうもろこしや穀類、お米でした。

畑の収穫  村のどこからも子どもたちの笑い声が聞こえる、この何ともゆったりとした朗らかな風土は、きっとこれらの実りが支えているのであろうことを、理屈なく教えてもらった気がしました。

 畑で食べたトマトのとびきりのおいしさ。遠くに控えるウルグル山の雄々しい姿や広々とした大地で草を食む牛たち。赤土に映えるバナナの木の眩しい緑や、マンゴーの大木の涼やかな日陰。どれをとっても私の中では美しい村の風景として心に焼き付きましたが、それと同時に、最後に訪れた広大なジャトロファ畑(油を採る目的)や、延々と続くサイザル麻のプランテーション農場、大きなアメリカのタバコ工場、も同じく心に残りました。 「これからはアフリカの時代」とも聞いたことがありますが、この広大な台地が今後どうなっていくのかな.. という想いもふと心をかすめる中、出店に並んでいたあの色とりどりの野菜や果物、穀物が、これからも変わらず皆の朗らかな笑いの日々を支えてくれますように、と願うばかりです。

初めて訪れる地球の反対側の場所なのに、なぜか懐かしく感じたキンゴルウィラ村。 やっぱり人類の故郷アフリカだからなのかもしれません。





 

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