読書ノート




読書ノート No.30


 

佐藤芳之『アフリカの奇跡』


根本 利通(ねもととしみち)


 佐藤芳之『OUT OF AFRICA アフリカの奇跡-世界に誇れる日本人ビジネスマンの物語』
  (朝日新聞出版、2012年7月刊、1,400円) 

『アフリカの奇跡』
 本書の目次は以下のようになっている。

序章 風の吹き始める場所
1章 アフリカへ
2章 ケニア・ナッツ・カンパニー
3章 アフリカってところは!
4章 失敗から学ぶ
5章 アフリカが教えてくれたこと
6章 さらに先へ
7章 新たなるチャレンジ
8章 アフリカから日本を想う、日本を憂う

 とにかく元気なおじさんの話である。現在73歳らしいが、まだ20年くらいは太く長い人生を生きられるようである。新しいものへの好奇心、挑戦心が旺盛なのだ。どちらかというと体育会系的な根性路線。松本仁一『アフリカ・レポート』にも紹介されている。

 タンザニアの話や知っている人たちも出てくるのでおもしろく、あっという間に読み終わってしまった。ブラジルやタンザニアにおける失敗談も結構出てくるのだが、それも肥やしにしてしまっているような図太さ、ノーテンキさ。

 実はそんなにお気楽な話ばかりではないのだろうが、意図的に明るい面を強調しているのかもしれない。日本でアフリカと言うと、貧困・飢餓・紛争・内戦・エイズといったネガティブなイメージが多い。それはマスコミが作り出しているものだが、明るいプラス面を強調するのは実はバランスを取るために必要かもしれないと思う。私は日本の若者がどれだけの閉塞状況にいるのかは、報道では知っていても実感としてはわかっていない。佐藤さんは日本の大学で講演したり、インターンとして若者を呼んだりしているようだ。若者を励まし、頑張ってほしいのだろう。この著書はその宣伝用のグッズかもしれない。

 何せ出版元が朝日新聞出版という、2012年のジャーナリズムとしては大チョンボをやったところだから、あざとい編集者がいるのかもしれない。本書も佐藤さんの執筆ではなく、インタビューを編集者が書き直したのかなとちらっと疑ってみたりもした。でもやはり本人の執筆だろう。とても文系とは思えない文章だし、家族(ご両親、兄妹、妻、子どもたち)を臆面もなく褒めるあたりは佐藤さんならではなのかもしれない。

 共感できるコメントは随所にある。たとえば「うちの会社という言い方にこめられたもの」「ケニア人の側に立って仕事をする」「最終的に行きつく先は、シンプルでベーシックな生活ということ。欲望には上限を」「コンサルタントという仕事は実体がない」「自分探しの旅に出るなどと聞くと、こいつはバカかと思ってしまう」などなど。

Out of Africa
   ケニア・ナッツのヒット商品としては「Out of Africa」というチョコレートがある(本書によれば1995年から販売)。ケニア航空の機内でよく出てくるし、ナイロビ空港の免税品店では私はよく購入する。コーヒーや紅茶など、ケニアとタンザニアは特産品が重なるのでお土産にはならない。その点マカダミアナッツを使った「Out of Africa」はおいしいし、お土産として喜ばれる。佐藤さんの販売戦略にもろに乗せられている気もするが、タンザニア・ナッツがなくなってしまった以上仕方ない。

 「Out of Africa」というネーミングは佐藤さんの会心の作だろう。ケニアでのサファリを楽しんで帰った人たちが、懐かしくアフリカ(ケニア)を思い出すという構図だろう。「Out of Africa」というのは、カレン・ブリクセンというデンマーク人貴族でケニアのナイロビの郊外ンゴング・ヒルでコーヒー農園を経営した女性の回想録である。原作は1937年発表らしいが、日本では『アフリカの日々』というタイトルで翻訳が出たのが1981年である。ハリウッド映画の『愛と哀しみの果て』(1985年公開)というラヴロマンスの原作と言った方がわかりやすいかもしれない。

 私はこの原作も読んだことがなかったし、映画も見たことがない。映画はともかく、原作の邦訳が出た時にはまだ日本に住んでいたのだが興味がなかった。ケニアの植民者のノスタルジアに過ぎないだろうと思っていたからだ。その思いは今でも変わらないが、この機会に読んでみた。

 さて、読んでみたらかなりおもしろかった。100年近い前(ブリクセンのケニア滞在は1914~31年)のナイロビ郊外の自然描写がしみじみと美しく感動的だった。また人生模様を織りなす白人(英国人、フランス人、スカンディナビア人など)、インド人、ソマリ人、マサイ人、ギクユ人などの生きざまも魅力的である。文学作品としては一級品だろう。

 ただ意地悪なことに私はケニアにおける植民地支配の史料として読んでいる。したがってンゴマの大会の描写を読んで、同時代のジイドの『コンゴ紀行』と比較してみたり、ソマリ、マサイ、ギクユの人たちの関係、反応の違いを面白いと思ってしまう。ヨーロッパ人の人種感、文明感には、時代の制約を認めつつも違和感を感じる。やはり、「Out of Africa」的感覚にはなれないなと思う。

『アフリカの日々』
 さて、本書に戻ってみる。タイトルが意味不明である。『OUT OF AFRICA アフリカの奇跡-世界に誇れる日本人ビジネスマンの物語』となっている。「アフリカの奇跡」というのはアフリカ人が奇跡を起こしたのか?それとも日本人がアフリカの中で奇跡を起こしたのか?本書の内容からいうと「ケニアで奇跡を起こした日本人ビジネスマン」なのだろうが、それでは惹句としては弱いのか。さらにそれに「Out of Africa」とくっつけているのは、佐藤さんはアフリカ大陸から離れて外から眺めようとするのか?おそらくタイトルは編集者が決めたのだろうが。

 佐藤さんのいう「アフリカ」「アフリカ人」とは何なのだろうかと思う。確かに「アフリカは」とか「アフリカ人は」と言って共通に語れることは多い。だいたい西欧列強によって勝手に国境線を引かれただけだから、マサイ人なんか依然としてケニアとタンザニアを行ったり来たりしている。しかし、植民地のなわばり(国境線)ができてから120年以上経ち、多くのアフリカ諸国が独立してからもう50年以上経つ。だから似ていたはずのケニアとタンザニアもその後の歴史で違ってきている部分は多くあるし、アフリカも南部と東部と西部の国々はかなり違う。佐藤さんはガーナでの生活も2年ほどされているから、アフリカ大陸的な視野になっているのだろう。ただそれをいっしょくたに「アフリカは」というのはわかりやすいが誤解も多く招くだろう。「心配とは想像力の誤用であるというアフリカの格言」というのは典型だと思う。

 佐藤さんが相手にしているケニア人は上は大統領、大臣から、インド人のビジネスマン、下は夜警さんや契約の肉体労働者まで。ケニア在住の外国人もいるだろうし、幅広くさまざまな人たちと付き合ってきたのだろう。しかし、モイ大統領が工場の記念式典に招かれている写真などを見ると、やはり比重の置き方は違うのだろう。

 佐藤さんは普通の日本人とかなりかけ離れているなと思わせる部分もある。「ケニアに骨を埋める気はない」とあるが、さてじゃぁ日本へ帰られるのだろうかとなるとそうは思えない部分がある。日本式の「情の経営」というのも、ケニア人にすべてを託してケニア・ナッツから離れてしまうのを見ると、純粋にそうだとは思えない。

 一方で、ヨーロッパ人の教養主義は高く評価しているようだ。音楽、絵画、乗馬など。「本当に良質なもの…自分の生活をあるグレードに保つことは大切だ。最低限のノーブルさを保ち、知的に生活すること」(P.66)という要求は、タンザニアの一般の人たちにはかなり高い要求水準に見える。

佐藤芳之氏
 佐藤さんの娘さんはアメリカとベルギーにいるという。それぞれの国の方と結婚してようだ。私の寡聞に過ぎないのかもしれないが、佐藤さんと限らずケニアに長い日本人のお子さんたちは英米の大学に学び、欧米に住んでいる人が多いようだ。かくいう私の子どもたちも二人とも日本の大学に行っているが、日本社会とは微妙な違和感を感じている気配がある。これはなぜなのだろうか?彼らは日本にも戻らないが、日系ケニア2世、タンザニア2世にはならないのか?

 現在はルワンダでオーガニック・ソリューションズという会社をやっておられる。66歳で起業というのだから、その冒険心・情熱には頭が下がる。私のように仕事を早く辞めたいという根性とはわけが違うのだ。その心意気がまた日本の若者を惹きつけているようだ。

 現在の仕事を佐藤さんは集大成と考えておられるようだ。今までやってきたソーシャル・ビジネスに、環境や開発といった要素を盛り込んで、今までやってきた経営、商品作り、付加価値作り、そういうものをひとつにするのだという。ただ従来通り、モノを作り出すことにこだわっていかれるのだと思う。

 佐藤さんとは一度お会いしたことがある。タンザニアで親しくさせていただいていたタンザニア・ナッツフィールドの方の親会社ケニア・ナッツの社長さんとしてである。ケニアのナイロビにあるお宅に呼んでいただいたのだが、「根本さん、もう研究はいいでしょう」と言われたことを鮮明に覚えている。もう20年以上前の話である。

 その後私はビジネスのような形を取りながら、二足の草鞋を履いてきた。その中途半端さが、佐藤さんのような「成功」も「奇跡」も呼び起こさなかったが、それはそれ、それぞれの人生なのさと思うことにしている。

☆参照文献:アイザック・ディネーセン、横山貞子訳『アフリカの日々』(晶文社、1981年)
  松本仁一『アフリカ・レポート』(岩波新書、2008年)

(2013年2月15日)






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