読書ノート




読書ノート No.37


 

オラウダ・イクイアーノ『アフリカ人、イクイアーノの生涯の興味深い物語』


根本 利通(ねもととしみち)


 オラウダ・イクイアーノ著、久野陽一訳『アフリカ人、イクイアーノの生涯の興味深い物語』(研究社、2012年8月刊、3,400円) 

 原著は1789年英国で出版された。英語版はダルエスサラームでもペンギン・クラシックスのシリーズで入手可能だったので、本書(日本語訳)を読み、ところどころ疑問点を英語版に当たるという読み方をした。

『イクイアーノの生涯』
 本書の目次は次のようになっている。おおよその流れはわかるだろう。
 第1章 著者の故郷、その慣習としきたり、その他
 第2章 著者の生まれと家柄-妹との誘拐-奴隷船の恐怖
 第3章 ヴァージニアへ-イングランド到着…
 第4章 ボスコーエン中将とル・クルー氏の名高い戦闘…
 第5章 迫害、残虐、搾取のさまざまな興味深い実例
 第6章 状態の好転-二度の地震に驚く…
 第7章 西インド諸島への嫌悪-自由を手に入れるための…
 第8章 三つの驚くべき夢-バハマの浅瀬で難破
 第9章 マルティニコ到着-新たな困難とイングランドへの航海
 第10章 イエス・キリスト信仰への改宗について
 第11章 スペインからイングランドへの帰還の途中、…
 第12章 現在までのさまざまな出来事-王妃陛下への嘆願書

 自伝小説である。主人公は1745年現在のナイジェリア東南部のイボランドで生まれた。父は村の首長もしくは長老であったという。7人兄妹で幸せに暮らしていたが、11歳の時に大人が畑に行っている間に、自宅で妹と一緒に誘拐されてしまう。その後6~7か月の間にアフリカ人の間の家内奴隷として転売され続け、海岸に達する。そこで白人の奴隷船に売られ、バルバドス島経由で、最後はヴァージニアに連れて行かれた。

 ヴァージニアの農園で2~3週間ほど働いた後、英国の海軍士官パスカルに転売され、英国に向かう。その主人にグスタヴス・ヴァッサと名づけられる。1756~63年の英仏七年戦争に従軍し、カナダやジブラルタルでフランス軍との実戦を経験する。その間、主人公は英会話、読み書きに上達し、キリスト教の洗礼を受ける。戦争が英国側の勝利に終わり、賃金をもらい、将来は自由を手に入れようと夢見る主人公を裏切って主人のパスカルは西インド行きの船に主人公を売り払ってしまう。

 1762~66年の間、西インド諸島のモントセラト島をベースに奴隷として住むことになる。クエーカー教徒で温情深い主人キングに巡り合ったのが、まだ幸運だったのだろう。奴隷への迫害、残虐さを記述し、平等と独立という人間が生まれながらに有する第一の権利を侵害し、差別を作っていると批判する。主人の持つ船に乗り組み、ファーマーという船長にも恵まれ、航海術などを学びながら、西インド諸島やジョージアなど現在のアメリカ合州国南部の植民地を往来する。そしてわずかな元手を生かし、各地の間の商品輸送でお金を貯め、ついに自由の身分を買い取ることに成功する。

 自由になった主人公は西インドを離れ、懐かしく思っていた英国に向かう(1767年)。その後、理髪師修業やアーヴィング博士の研究助手もするが、稼ぐのはやはり船乗りが多い。トルコ、ポルトガル、再び西インドへ、そして北極航路の探検にも参加する。様ざまな危険にも遭うが、主人公を駆り立てるのは見知らぬ土地・文化・人間への好奇心のようだ。宗教心が深化していき、船上で啓示を受ける様子が描かれ、聖書の引用が増えてくる。

 その後、アーヴィング博士による中米(ニカラグア)入植計画で、アフリカ人奴隷を購入したり、インディアンとの交渉を担当したりする。しかし西インドにおける白人の悪辣さに怒り、英国に戻る(1777年)。その後1797年の死去まで英国に主に在住した。英領アフリカ植民地の英国国教会の伝道師を志願したが許可を貰えない。独立を果たしたアメリカのニューヨークやフィラデルフィアにも航海もした。そして、アメリカから移住してきた自由黒人のシエラレオネ移住計画の備品管理人に任命されるが、わずか4カ月で不正行為を告発しようとして逆に解任されていまう。その後、奴隷貿易廃止運動に献身し、そのために王妃に嘆願書を書いたり、本書を発行してその販売に積極的に動いた。晩年には白人女性との結婚し、子どもを2人もうけた。


原著の表紙

 以上があらすじである。日本語版は「英国十八世紀文学叢書」のシリーズとして出版されている。訳者の久野氏も18世紀英文学の研究者である。さすが英語の研究社という訳書である。

 さて、1962年にウガンダのマケレレ大学で行われた「アフリカ文学とは何か?」という議論を思い出してみたい。この議論は、「英語で書くアフリカ人作家会議」という集会でたたかわれた。アフリカ文学とは、「アフリカを舞台にしたもの」であるのか、あるいは「アフリカ人が書いたもの」なのか?そうであるならば、アフリカを舞台にした非アフリカ人の文学(例えばアイザック・ディネーセン著『アフリカの日々』)は入るのか?白人でも南ア生まれの白人の作品(例えばアラン・ペイトン著『泣け!わが愛する祖国よ』)はいいのか?逆にアフリカ人がアフリカ大陸の外を舞台にして描いた小説はどうなのか?アフリカの諸言語で書かなくていいのか?その場合スワヒリ語はいいが、アラビア語は入るのか…などなど。

 本書はアフリカ文学の範疇には入らないだろうし、その源流ともみなされないだろう。著者はイボ人でなく、アメリカのサウスカロライナ生まれであると主張する研究者もいるようだ(ペンギン版の編者ヴィンセント・カレッタ)。そうなると英米黒人文学という範疇になってしまう。

 イボ人の作家と言えば、この3月にアメリカで亡くなったチヌア・アチェベを思い出す。もし、この著者が真にイボ人であるのならば、イボの文化のなかに大きな「語り」の要素があるのだろう。アチェベといえば、「現代アフリカ文学の父」と呼ばれ、英語で作品を生み出していった。1975年には英文学の最高峰の一つといわれるジョセフ・コンラッドの『闇の奥』の人種差別性を厳しく批判し、大論争を引き起こした。その一方で、グギ・ワ・ジオンゴによるアフリカ諸語による文学表現の運動に対しては。英語での著作を弁護する側に回った。

 私には英文学史のなかでの評価には興味はないし、また文学作品として味わうだけの英語力もない。どうしてもアフリカ史あるいは世界史の同時代史料として読んでしまう。

 主人公の生きた18世紀の後半は、クックなどの世界周航が行なわれ、南太平洋などのヨーロッパ人から見た地理上の空白がなくなった時代である。大西洋の奴隷貿易は最盛期に達していた。英仏両国によるアフリカ各地域ごとの奴隷積み出し数とそのシェア(1711~1810年)というのを見ると、積み出し総数328万人のうちビアフラ海岸が最大のシェアの25.1%(82万人)を占めている(P.D.カーティンによる推計)。主人公が輸出されたのはここだ。主人公を創作としてイボ人にしたのだったら、その背景はそれだろう。

 中間航路での死亡率は時代が下がるにつれて下がってきているようだが、平均で13.2%という数字がある。英国においては王立アフリカ会社の独占は終わり、「奴隷の自由貿易」が西インドのプランターや本国の製造業者から主張されていた時代である。主人公をビアフラ湾から西インドに運んだ奴隷船は、当時の多数派リヴァプールから来ていたのだろうか。


大西洋奴隷貿易、港での競売
「Heroes of the Dark Continent」

 1760年代から奴隷貿易に対する廃止運動も始まっていた。ヨーロッパで啓蒙思想が流行し、アメリカ独立革命やフランス大革命が起こった。博愛主義を唱えるクエーカー教徒のジョージ・フォックスやグランヴィル・シャープなどの活躍は知られている。1787年には奴隷貿易廃止協会が設立された。その年に黄金海岸(現在のガーナ)から誘拐され、西インド諸島から英国へと主人公と同じルートをたどった、オトバ・クゴアーノの『奴隷制および人身売買という邪悪で不正な取引に関する見解と所感』というのが発刊されている。本書の背景にはその時代がある。

 しかし、同時期に進行していた他国に先駆けた英国の産業革命、それに伴う製品の市場の拡大を、奴隷貿易と奴隷制大農場生産からの利益よりも重視する流れが、奴隷貿易の廃止運動の背景にあることも事実だ。それが19世紀のアフリカ大陸の探検と伝道の時代を導き、さらには植民地化、アフリカ分割の時代へとつながっていった。キリスト教的人道主義が奴隷制度を「忌むべきこと」と見出したのは事実だろうが、その側面だけを強調するわけにはいかない。

 本書の中に、同時進行中だったアメリカの独立革命(1775~83年)への言及はない。1784~5年、独立後のニューヨークとフィラデルフィアを訪れているのだが。初版の発行は1789年3月でフランス革命の勃発以前だから本文中にも出てこないのは当然かもしれないが、1794年の第9版までにも出てこない。さらに西インドのハイチで起こっていた最初の黒人革命(1791年~)が視野に入っていなかったことはないと思うのだが、英国とその属領の中だけで完結しているように見える。

 キリスト教の問題。主人公は英国国教会メソジスト派の信仰を持った。また奴隷貿易廃止運動のなかではクエーカー教徒との交流も深かったようだ。自由の身分を買い取った時の喜び(第7章)よりも、神の啓示を得たと感じた時(第10章)の方が喜びが大きいように見える。聖書からの引用が後半は多い。

 アメリカ独立革命の際に英国側について戦い、自由の身分を獲得した黒人は、独立後多くが英国に流れたらしい。その困窮した自由黒人の定住先として、主人公が参画したシエラレオネ移住計画があった。またフランス革命時には、フランスとは戦争状態であったし、国民公会が1794年に奴隷貿易・奴隷制度の廃止を宣言した時は、英国国内では革命・自由思想には強く警戒的であったのは容易に想像できる。またハイチ革命の際の黒人の解放軍を鎮圧しようとしていたのは英国軍であった。したがって著者が意図的にそれらの流れに触れなかったのかもしれない。あくまでも英国内における奴隷貿易反対運動の武器としての本書なのである。

 ただ、著者が奴隷貿易には反対だったが、奴隷制そのものには必ずしも反対ではなかったという見解もあるようだ。現実にニカラグアでは奴隷を購入する側に立って監督官を勤めた。ミルトンやシェイクスピアの引用も多く、英国人として立派なインテリであり、最後は黒いジェントルマンとして、娘にまとまった遺産を残した。それはアフリカ人としてと英国人としての二重の自己意識の表れだとすることもできるが、やはり時代の制約なのだと思う。奴隷として呻吟した人が、自分がその身分から解放されたとしても、奴隷制度を是とするわけはない。読者のほとんである白人有識階級の意識を考慮に入れたしたたかな叙述なのだろう。

 最後に揚げ足取りをしてみたい。本書21ページの半ばの新段落にこうある…「アフリカのイボ族と現代のユダヤ人の…」。ペンギン版では次のようになっている…「Eboan Africans and the modern Jews」。なぜイボ「族」とユダヤ「人」と訳さないといけないのだろうか?慣用だから?無意識の先入観?訳者は何も意識していないのだろうと思う。もし意図的にやったのだとしたら性質が悪い。人間を「人」と「族」に分ける思想はどこから来たのか考えなかったのだろうか。訳者解題でも「ヨルバ族、イボ族、アシャンティ族」と連発しているから、翻訳ではなくて訳者の日本語のなかで無意識のうちに差別がインプットされているのだろう。18世紀のアフリカの社会が、イボ族、ヨルバ族などの部族共同体の社会だったとは、少なくとも本書の第1章~第2章を読む限りは感じられないのだが。やはり、英文学というのは、コンラッドの「闇の奥」論争でもそうであるように、英帝国本国からの発想から抜けきれないものなのかもしれないと門外漢は感じるのである。

☆参照文献:Olaudah Equiano "The Interesting Narrative and Other Writings"(Penguin Classics,2003)
 ・グギ・ワ・ジオンゴ著、宮本正興・楠瀬佳子訳『精神の非植民地化』(第三書館、1987年)
 ・池本幸三・布留川正博・下山晃『近代世界と奴隷制』(人文書院、1995年)
 ・ダニエル・P・マニックス著、土田とも訳『黒い積荷』(平凡社、1976年)
 ・秋田茂『イギリス帝国の歴史』(中公新書、2012年)


(2013年6月15日)






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