読書ノート




読書ノート No.59


 

高尾具成『サンダルで歩いたアフリカ大陸』


根本 利通(ねもととしみち)


  高尾具成『特派員ルポ-サンダルで歩いたアフリカ大陸』(岩波書店、2013年6月刊、2,500円)

『』
 本書の目次は次のようになっている。
  序章 眠らぬ者たちが暮らす大陸
  第1章 続く「虹の国」への挑戦-南アフリカ
  第2章 テロへの怯え-ウガンダ
  第3章 カダフィ大佐の夢を挫く民衆の夢-リビア
  第4章 大虐殺から15年 抗争後のいま-ルワンダ
  第5章 HIVの偏見・差別を生きる-カメルーン
  第6章 大国の分離、新国家独立の苦い味
       -スーダン、南スーダン
  第7章 オバマ大統領のルーツを訪ねて-ケニア
  第8章 奴隷貿易の遠い記憶-ガーナ
  第9章 孤独な取材現場-ジンバブエ
  終章 ぐっすりと眠れる日々は来るのだろうか

 著者は、2008年3月~2012年3月、毎日新聞のヨハネスブルグ特派員だった。本書はこの間の取材に基づいている。

 まずは第1章、著者が駐在した南アフリカ(66ページ)。南アには住んでいたのだからその4年間の流れをカバーしているが、中心は2010年6~7月に開催されたサッカーのワールドカップである。1995年、南アで開かれたラグビーのワールドカップで、圧倒的に白人のチームの南アがほとんど白人の観衆のスタジアムで優勝する。その祝福のためにネルソン・マンデラがユニフォームを着てグラウンドに降り立った。

 それから15年後にサッカーのワールドカップが南アで、「アフリカ大陸初めて」開かれる。マンデラが目指した「虹の国」はどうなっていたのか、を描く。アパルトヘイト時代のプロサッカー選手の不遇、ロベン島にあった監獄内のサッカーリーグの話。スポーツが人種の壁を崩す一つの力となったのだ。建設が遅れる会場、ツォツィ(不良)や犯罪が横行する町の治安対策、マスコットキャラクターが中国製品で地元に雇用を生まないなどの不安を抱えながらの開幕。ブブゼラの音が鳴り響くなかでの開催国南アのワールドカップ史上初の予選リーグ敗退と、それに代わるようにアフリカ中の応援を受けたガーナ代表。閉会式にはマンデラも登場した。

 しかし宴のあとには、また社会不安が蘇る。ゼノフォビア(外国人排斥)、公務員や鉱山でのスト、解決されない住宅問題、地方に残る圧倒的な白人農場とそれに対する反感。ムベキ第二代大統領の経済成長政策で一部黒人富裕層は生まれたが、圧倒的多数の貧困層との格差は開いた。その期待を担って、ムベキを追い落としたズマが大統領になったが、社会不安は解決されそうもない。与党ANCも分裂し、盤石ではなくなったが、その時はまだANCには守護神がいた。”マディバ”ネルソン・マンデラである。その経歴、人格、潔さから南アのみならず、アフリカ大陸で神格化されていた。2013年12月にマンデラは亡くなり、アンチ・アパルトヘイト闘争を担ったという歴史の正統性だけでANCがやっていけるのか、「虹の国」の行方はますます厳しく問われるだろう。


シャックと呼ばれる掘立小屋
2010年ソウェト(南ア)

 次はその隣国のジンバブウェを描いた第9章(58ページ)。著者はこのジンバブウェ大統領選挙の取材で、2008年度ボーン・上田記念国際記者賞を受賞している。ジンバブウェの取材は、2008年4月、6月と2009年10月に行われている。著者のアフリカとの触れ合いのきっかけでもあり、また特派員赴任後わずか10日目にやった初取材でもあるから、最も思い入れ深い取材対象国であっただろう。

 1980年の独立以降の「独立の英雄」ムガベの独裁化、特に1990年代末からの、白人大農場の強制収用とそれに反発する欧米諸国による経済制裁による経済の破綻、年10万%に上るハイパー・インフレ、民衆の自由化を求める運動と政権側のすさまじい弾圧はよく知られているし、本書でも概観されている。

 その責任を英国による植民地支配の問題、制憲会議でのその清算の約束を反古にしたブレア政権とその後の欧米諸国による経済制裁に負わせても、またムガベの個人的な資質や権力欲や軍を中心とするその側近の権益集団ネットワークに負わせても、民衆の苦しみは解決しない。襲撃され、暴行され、私財を失った白人農場主の悲劇にも目をつぶることはしたくないのだが…。

 ジャーナリストとしての著者の使命は、取材許可が西側諸国のメディアにほとんど発行されなかったなかで、2回(最初と決選)とも許可証を得た記者として、事実を伝える、特に被害を受けている野党支持者の声を伝えることだったろう。その取材の緊迫感は伝わってくるし、政権与党のやっている人権侵害はよくわかる。上記の賞を受賞したゆえんだろう。著者が迷いながら取材している様子もうかがえる…「だけどさ」となるのだ。

 目の前にある人権侵害は許せない。それはジンバブウェでもリビアでも、あるいは本書では語られなかったエリトリアでもそうかもしれない。長期独裁政権は腐敗するのだろう。ただ、親欧米、特に親米であればかつてのザイールは措いといても、ウガンダでもルワンダでもあるいはカメルーンでもあまり強く非難されていないように見える。ほかの文献を読むと、白人大農場の強制収用のために農業生産力が崩壊したとは思えないのだが(『燃えるジンバブウェ』)。そうは言っても、私自身がジンバブウェにはもう30年は行っていないから、最近行ってきた人たちの話とか新聞、研究書に依存するしかないので、現地の空気を伝えるジャーナリストはやはり貴重で、本書の取材内容はおもしろかった。


日々の暮らしのための長い行列
2008年ハラレ(ジンバブウェ)

 それ以外の国の取材は、短期間で通り過ぎる人の取材であったためか、第2~第8章で128ページ、1章平均18ページほどである。章の順番ではなく、取材の時系列を追って読んでみた。その方が著者の関心のあり方、あるいはアフリカに対する気持ちの変化が見えるかもしれないと思ったからだ。

 まず、第7章のケニア。時期は2008年6月と11月。バラク・オバマが米国大統領の民主党の候補に指名された時と、大統領に当選した時である。オバマの父はケニア人で、ヴィクトリア湖畔のキスム市に近い村の生まれである。そこには86歳で祖母が健在であり、それを訪ねていったのだ。祖母は祖父の二番目の妻で、オバマとは血はつながっていない。タンザニアでもオバマが大統領になった時は「アフリカ人の血を引く大統領」と大騒ぎだったから、ケニアでは期待がさぞ大きかっただろう。はたして、「私たちの大統領」であったのだろうか。

 続いて第5章のカメルーン(2008年10月)はあまりにもあっけない。HIVの蔓延、母子感染の広がりと社会の不寛容・偏見を記す。さらにナイジェリアとの国境にあり領有権を争っていたバカシ半島を取材する。石油資源が発見されたにもかかわらず、国際司法裁判所の裁定でカメルーンに所属することになったという。その裁定の根拠が、1913年の英仏の合意だったとしたら寂しい。当局によって取材が中断させらたということだが、不満の残る章である。

 その次は第4章のルワンダ(2008年11月)である。これも「ホテル・ルワンダ」から書き出し、ベルギー統治の民族区分の恣意性、フランス当局との責任の押し付け合い、「憎悪の連鎖」を断ち切り和解を目指す住民と受刑者などを述べているが、あまり目新しいことはない。カガメの強権政治による統治、経済発展をどう評価しているかも不明だ。私は2007年にルワンダを訪れ、息苦しいと感じたことを覚えている『ルワンダ紀行』。それが勤勉や規律という美徳から来ているとは思えないのだが。

 さらに第8章のガーナ(2009年7月)ではオバマの跡を追う。2009年1月のオバマの大統領就任演説の中にアフリカ大陸を忘れていない、「対立を煽ったり、国内の社会問題の責任を西側世界に押し付けようとする指導者たち」に対するメッセージがあったとする。そしてケニアではなくアフリカの民主主義の「模範国」ガーナを最初のサブサハラの訪問国に選んだのは当然だという。ケープコースト城という奴隷貿易の遺跡を訪ねたのは、黒人奴隷の子孫である夫人の強い希望であったという。デュボイスやンクルマのことに触れられてはいるものの、ガーナの民衆はオバマの影のようだ。


オバマの大統領当選を喜ぶ村人
2008年ニャンゴマ・コゲロ村(ケニア)

 第6章のスーダンと南スーダン(2010年2~3月、2011年1月、7月)では、アフリカ大陸の最新の独立国の誕生の過程を追う。20年以上犠牲者200万人以上を出した第二次南北内戦が、2005年包括的和平合意が結ばれ、南部が独立するかどうかの住民投票が行なわれる前年である。石油利権、その産地の国境未画定、ナイル川の水利権という大きな不安要素を抱えながら、分離独立に向かう。その背景にはオバマの米国が見える。2011年1月、98.83%の支持で独立が決まり、7月には歓喜の独立、南スーダンが誕生した。

 住民投票の際に、国際選挙監視団のルワンダ人ムスリムが拒否されたエピソードが目を引く。北部のアラブ人ムスリムと南部のアフリカ人クリスチャンの対立と言うが、南北内戦の過程で南部のクリスチャンが増えていった事実。ダルフールの虐殺の責任者が、この和平の当事者であるという事実は、宗教的・民族的に寛容な未来を予測させない。「南スーダンが成功するか否かは、民主的な政権運営や意思決定過程の透明性確保のほか、石油利益の公平な分配にかかっている」というような一般論では到底解決しない「割り切れぬ思い」を著者は持つ。2013年今度は南スーダンで内戦が勃発してしまった。

 第2章のウガンダは、南アでのワールドカップの決勝の日に起こったテロ事件をその半年後に取材している(2011年1月)。ソマリア暫定政府を支援するAUのPKOにブルンジと並んで軍を派遣しているウガンダが、アッシャバーブに狙われた。憲法を改正して三選、四選と権力を握り続ける親米のムセベニ政権が狙われたとも解釈できる。中心首謀者とみなされたのはウガンダのムスリムの兄弟で、どうやってリクルートされたのか。。モンバサの町のムスリムの若者の貧困層と「ソマリア御殿」にも話はおよぶ。このイスラームのテロと神の抵抗軍(LRA)をどう結び付けるのか。

 最後に第3章のリビア(2011年3月)のリビア。ここはサブサハラではないし、助っ人として行ったのだろう。しかし、視点はサブサハラからのものである。カダフィ大佐が40年以上にわたって独裁を続けたリビアでは批判勢力・反体制派は厳しく弾圧された。しかし一方で豊かな石油生産を背景に国民生活は向上し、かつパンアフリカニズムの旗印の下、AU結成にも大きく貢献し、サブサハラの諸国にも経済援助を惜しまなかった。アフリカ合衆国を目指すというカダフィの姿勢に、AU諸国は表立って批判はできず、3月19日から始まったNATO軍による空爆にもかなりの国々で反対があった。AUは「リビア人自身による対話解決」を訴え、ズマ南ア大統領が仲介の労をとった。しかし、NATO軍による空爆は続き、反カダフィ派の民衆からフランス軍が感謝されるような事態となっていった。「アフリカ大陸はずっと欧米に干渉されていくのだろうか」と著者は少し辛い気持ちになる。


ニ度と戻れない扉
2009年ケープ・コースト(ガーナ)

 序章では著者の少年時代のアフリカとの出会いから語りが始まる。それが現在のジンバブウェだった。大学生時代、バックパックでヨーロッパからジブラルタル海峡を渡ってアフリカ大陸の土を踏んだ著者は、金尽きてモロッコから引き返すのだが、「忘れモノをしてきた」と自分に言い聞かせる。そして20年後にヨハネスブルグ支局に赴任を命ぜられる。本当は勇躍してなのだろうが、「気負わずにゆこう」と言い聞かせ、バックパックとサンダルで旅立ったという。こういう導入は著書の人となりが見えてくるから嬉しい。

 著者のスタンスは「等身大のアフリカの人々を見つめ、対話を重ねながら、歴史や過去を見直す」ということだ。ほかの先輩のアフリカ特派員のような、先駆者としての強烈な自負、あざとい野心、はったりともいえるような誇張というのが感じられない。優しいのだろうか、アフリカの人たちとの話し合いで戸惑い、悩みを見せる。終章では、南アのサン人の移住地で穏やかな幸せな時間を過ごす自分を実感している。人間としての「思いやり、助け合い、共に生きる」ことを信じたいのだ。

 著者は言う。「アフリカはこんがらがった現在進行形を抱えながらポスト・コロニアルの時代を今なお蛇行のように歩む国々や人々が多くあるように思えてならなかった。…赦しや克服、和解や夢などといった表現では伝えきれず、解決されないことの方が多いのが真実だろう。…「歴史」や「過去」を反芻するように、「忘れられない」「忘れたくはない」と揺れ動き続けている」(P.267)。

 この著者の述壊をジャーナリストとしての甘さ、腰の座らなさと見ることはできる。特に「部族」「部族主義」と使う場合の混乱、覚悟のなさは気になる。日本のマスメディアの負の部分を無自覚に引き継いでいるのかと思われる。またオバマに対する評価も非常に甘い。オバマに期待したアフリカの人たちの夢は霧散している。現在は三陸支援支局にいて、被災者の割り切れぬ気持を伝えている。旬のニュースを伝えるのがジャーナリストの使命・任務なのだろう。しかし、それだけではその記事が10年後、20年後に残るとは限らない。アフリカの人たちの優しさ・哀しさに触れた著者が、もしまた戻ってくる時はジャーナリストの権威としてではなく、個人のスタンスを腹をくくって戻ってきてほしいと思う。


独立祝賀パレード
2011年ジュバ(南スーダン)

 以下は蛇足である。今回もわがタンザニアは取材されていなかった。これは日本におけるアフリカ・マスジャーナリズムの宿命なのだろう。その草分けといえる朝日の伊藤正孝記者はダルエスサラームに支局を置いたし、毎日の篠田豊記者はダルエスサラーム大学に留学していたのが、遠く懐かしく感じられる。今手許にありすぐ参照できる9冊で調べてみた(本書を含む)。筆者の内訳は毎日5人、朝日2人、共同1人、NHKチーム1である。取材対象国は南アがトップで9(全て)、次いで、ウガンダ(7)、ケニア(6)、ジンバブウェ(6)が常連である。続く中位クラスにエチオピア(5)、スーダン・南スーダン(5)、ナイジェリア(4)、ルワンダ(4)、モザンビーク(4)、アンゴラ(4)と来て、紛争国の代表選手であるコンゴ民(4)、ソマリア(3)が意外と少ないのは、やはり紛争進行中で入りづらいせいか。東南部アフリカの英語圏の国々が多いのは、日本人記者としては仕方ないか、支局があるのははヨハネスブルグかナイロビだし。

 クーデター、内戦、虐殺、飢餓、HIV、最近だと資源とか土地収奪などという語句が入らないと、東京のデスクがボツにするのだろう(でも現在の毎日の主筆はアフリカ特派員だった…)。大自然とか文化とか、人びとの当たり前の暮らしではアフリカのニュースにならない。タンザニアのことを取材に日本の新聞記者が来た例を私はあまり知らない(日本や中国の要人のタンザニア訪問の取材は除く)。来てもなかなか記事にならないようだ。上記の9冊のなかでもタンザニアの記事は住んでいた伊藤記者、篠田記者以外はとなると、NHKの1冊資源(金)のことだけだ。開き直って、タンザニアはずっと日本のマスメディアの記事にならない方が平和でいいのかなと思いもする。何とか来年の総選挙を無事に乗り切ってほしいものだ。

 今回、久しぶりに伊藤正孝の『アフリカ33景』を再読してみた。伊藤記者はビアフラ戦争の末期に潜入してスクープをものにした方で、私が大学生のころダルエスサラームでお話を伺ったことがある。ギニア・ビサウ、モザンビーク、エリトリアという解放闘争の解放区にも潜入して、弾丸の下をくぐりぬけてきた戦場記者だ。彼が主に取材した1970年代は「解放」がテーマだった。南部の白いアフリカ三角地帯で、ポルトガル領が崩れ、ジンバブウェの誕生も間近だった。残るナミビアと総本山南アに向けて意気上がる時代だった。その後80年代には「飢餓」が喧伝され、90年代には南アがマンデラの下に解放されたものの、ルワンダ、ザイールの内戦が起こり、「部族対立」が再びクローズアップされた。2000年代に入るとジンバブウェの独裁が問題とされ、「腐敗」「貧困」がメインテーマになった。2010年代は「資源」なのだろうか?

 こう見てくると1960年代にアフリカを眺めていたジャーナリスト・研究者たちの「希望」には及ばないものの、伊藤記者は幸せな時代にアフリカと接したのかもしれないなと思う。「ゲリラ戦は恋愛だ」(『アフリカ、二つの革命』)と書く人だから。80年代に入ると「苦悶」という言葉が入ってきて、90年代に「混沌」として、2000年代には人間は諦めて天然資源に頼ろうとする「絶望」が見え隠れする。しかし、これは外部特に欧米からの視点の強い反映であろう。外部の人たちの興味の観点が「構造調整」であれ、「貧困削減」であれ、「グッド・ガバナンス」であれ、アフリカ大陸に住む人たちはジンバブウェだけはなく眠れない夜を過ごしているのだ。ジャーナリストはそういった外部の流行に惑わされてはいけないだろう。50年後100年後とは言わないが、せめて20年後には通じるようなルポが欲しいと思う。

 参照した上記の9冊の本以外に、やはり毎日の特派員だった福井聡の『アフリカの底流を読む』(ちくま新書)も間違いなく購入して読んだのだが、今手許に見つからなかった。それを入れると10分の6が毎日の特派員の著書だ。ほかにも城島徹もいたはずで、毎日の記者は帰国後アフリカのことを書きたがるのだろうか?朝日は伊藤、松本というスター記者2人は生んだが、それ以外の特派員にはアフリカに思い入れは残らなかったのだろうか?最近載ったルワンダ大虐殺20周年の記事もひどかったと思う。朝日の元アフリカ特派員の著書に私が気がついていないだけかもしれないが。ただ、本書は脱字、誤字が気になり、毎日新聞記者と岩波書店の編集者にしてという思いがした。ブランド信仰は無用なのだろうか。



*写真はすべて本書から、著者撮影。

☆参照文献:
 ・伊藤正孝『アフリカ33景』(朝日文庫、1985年、初版1982年)
 ・篠田豊『苦悶するアフリカ』(岩波新書、1985年)
 ・石郷岡建『さまざまのアフリカ』(三一新書、1989年)
 ・沼沢均『神よアフリカに祝福を』(集英社、1995年)
 ・藤原章生『絵はがきにされたた少年』(集英社、2005年)
 ・松本仁一『アフリカ・レポート』(岩波新書、2008年)
 ・白戸圭一『ルポ資源大陸アフリカ』(東洋経済新報社、2009年)
 ・白戸圭一『日本人のためのアフリカ入門』(ちくま新書、2011年)
 ・NHKスペシャル取材班『アフリカ-資本主義最後のフロンティア』(新潮新書、2011年)

(2014年5月15日)






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