読書ノート




読書ノート No.63


 

ラス・カサス『インディアスの破壊についての簡潔な報告』


根本 利通(ねもととしみち)


 ラス・カサス著、染田秀藤訳 『インディアスの破壊についての簡潔な報告』(岩波文庫、1976年初版) 

『インディアスの破壊についての簡潔な報告』
 古典的な史料である。著者バルトロメー・デ・ラス・カサス(1484~1566)はスペインのセビリア生まれのドミニコ会所属のカトリック司祭。コロンの航海によって引き起こされたスペインの「新大陸」征服(コンキスタ)・植民事業の1502~47年の間、計6回の西インド、インディアスへの航海をおこなった。この間の歴史を大著『インディアス史』として書き遺している。しかし、ラス・カサスの面目は、本書にあるインディアスにおけるスペイン人たちの残虐さ、略奪の不当性の激しい告発であろう。

 本書の母胎となるものは1542年、スペイン国王カルロス1世宛ての報告として記され、その後1552年に印刷・公刊された。16世紀の世界最強のスペイン帝国の人間として、「キリスト教による原住民の教化」が疑いのない大義と思われてと見なされていた時代に、これだけの告発を、植民者たちの反発、身体的脅迫をはねのけて展開し、かつ具体的な政治的成果に結びつけていった強靭な精神にはただ敬服しかない。

 本書では、当時のスペイン人たちによる征服事業の展開された地域、現在の地名でいうとエスパニョーラ島、プエルトリコ島、ジャマイカ島、キューバ島、ベネズエラ、ニカラグア、メキシコ、グアテマラ、コロンビア、トリニダード島、コロンビア、ペルーの地域におけるスペイン人たちの行状を告発している。エルナン・コルテスやフランシスコ・ピサロのような著名な征服者と同時代である。

 私は大学生の時に、ヨーロッパ人による「地理上の発見」・大航海時代の告発の史料として読み、感銘をうけた。ほぼ40年ぶりに読み返してみて、感じたことをメモしておきたい。

 今回印象に残ったのは、ベネズエラ沖での真珠採取の話である。本書でいえばP.118~120である。スペイン人がインディオを金鉱山の採掘で酷使して、絶滅寸前に追い込んだことは有名だが、真珠採取作業の生活の方がより絶望的だったという。日の出から日没まで潜らされ、わずかな食事しか与えられず、夜は逃亡よけのために足かせをはめられた。熟練した泳ぎ手であったルカーヨ・インディオたちが売買され、この奴隷労働に投入され、ほとんど絶滅したという。

 真珠の産地としてはペルシア湾や南インドのマンナール湾が有名で、南海交易の重要な商品としてローマ帝国の時代に運ばれていた。コロンの「新大陸発見」は新たな産地を追加したわけだが、コロンの到着以前、インディオの人たちは真珠をどう扱っていたのだろうか?住民自身の装飾品、首長や王への献上物あるいは租税として扱われ、広範囲の交易品にはなっていなかったのだろうか?


ラス・カサス©ウィキペディア

 コロンの後に続いた征服者たち(コンキスタドール)の事績は、本書を読む限り、かなり共通して見える。有名なコルテス(アステカ)、ピサロ(インカ)だけではなく、バルボア(パナマ)、ダビラ(コロンビア海岸)、アルバラード(グアテマラ)、モンテーホ(ユカタン)、ボノ(トリニダード)、ダルフィンガー(ベネズエラ)、ソト(フロリダ)、ケサーダ(コロンビア)など多数の名前が無法者として挙げられている。

 これらの無法者たちは、インディオたちの町、村に着くと、歓迎されて食料を与えられ、その後領主たちを捕える、見せしめに殺したりして恐怖を与える。そして金を供出させ、その後殺す。その殺し方も火あぶり、引き裂き、犬に襲わせるなどありとあらゆる残虐な方法を取る。女が強姦し、その後は子どもと一緒に殺す。残ったインディオは荷役夫、鉱山労働者、農園労働者として酷使する奴隷とするか、連れ去って売却する。

 これがすべてキリスト教の名のもとに行われた。1503年にスペイン国王は、「未開で無知なインディオにキリスト教の福音を伝え保護する」義務をスペイン人に与え、その代わりに一定数のインディオを使役する許可を与えるというエンコミエンダ制を始めた。キリスト教の名の下の奴隷制で、金銀鉱山、農園、真珠採取で酷使されることになる。この結果、カリブ海の西インド諸島の先住民のインディオはほとんど死に絶え、現在のメキシコ、ペルー、コロンビアなどの地域でも大幅に人口は減少し、ラス・カサスは40年間に1,200~1,500万人と見積もっている。

 ラス・カサスのようなドミニコ会、あるいはフランシスコ会の修道士たちがインディオの窮状の救済、不正の告発を行うが、キリスト教会のなかにも現世利益に目がくらんだり、政治的抗争を好んだ者もいたのだろう。ラス・カサスのスペイン王室に対する訴え・運動にも幾多の障害があったようだ。正直、「宗教者」と称する人びとがこのような残虐な行為を行なえるというか自己正当化ができるのが不思議である。といっても、歴史をひもとくまでもなく、現代の世界で宗教の名の下の戦争、虐殺は連日起こっているが。

 見せしめや娯楽(?)のために虐殺するよりも、奴隷として使った方が経済原理に適うだろう。また奴隷として鉱山や真珠採集で使うにしても、死滅するように酷使するのはやはり割損ではないかというのは、後知恵なのだろうか?植民地主義が出てくるまではあくまで略奪という発想しかなかったのだろうか。ラス・カサスの発想は効率的な植民地主義の萌芽なのだろうか。そしてひいては現在のグローバリズムという新自由経済主義につながるものだろうか。


スペイン人コンキスタドールの活動(1513~42年)
©増田義郎『物語ラテン・アメリカの歴史』

 スペイン人が16世紀に新大陸で行った悪行は名高いが、同時期にポルトガル人が東インドで行った行為も似たり寄ったりである。暴力的な襲撃・略奪・先住民の酷使・奴隷化など。ただ東インド世界が、ペルシア、インド、中国、日本などかなり陸域国家として抵抗力を持った存在があったから、展開が違っただけだろう。武力の弱い港市であった、モザンビーク、キルワ、モンバサやマルク諸島などの小さな国家は征服され、ポルトガルの拠点都市となった。これはレコンキスタ終了後のイベリア半島の状況を反映していて、自分とは違う者、特に宗教に関しては無条件で攻撃するような性向にあったのか、それとも西ヨーロッパ文明の持つ野蛮さ・残忍さの証明なのか。

 16世紀初頭における彼我の文明というか、武力の差が如実に出たのであろう。アステカ帝国やインカ帝国は大帝国で優雅な文明を築いていたが、いかんせん金属器文明に達していなかったから、武器の差、特に火器に対して抗すべくもなかった。馬という機動力の存在も大きかったのだろう。

 しかし、情けなく感じてしまうのは、最初はともかく、スペイン人たちの侵略・残虐行為が続いたら、それに対する反抗はもとより、周辺のまだ侵略されていない地域の備えがどうだったのだろうか?食料を提供して歓迎したり、あまりにお人好しではないかとというのが本音だ。もちろん本書はラス・カサスという修道士による告発の書であり、インディオたちを無辜の純真な人たちとして描きたいのは分かるのだが。

 私自身はラテン・アメリカの歴史に関する知識はほとんどない。メキシコのテオティワカンの遺跡には行ったことがあるが、西インド諸島や南米大陸には足を踏み入れたこともない。生きている間に一度はクスコに行ってみたい、できればキューバにもと思っているが、果たせるかどうか…つまり、強烈な憧憬はなく、私のなかでの優先順位は比較的低い方である。従って、自分自身で何かを調べることはしないと思うので、分かりやすい概説書が出るといいなという怠け者の感想である。

☆参照文献:
 ・増田義郎『物語ラテン・アメリカの歴史』(中公新書、2011年)
 ・山田篤美『真珠の世界史』(中公新書、2013年)

(2014年7月11日)






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