読書ノート




読書ノート No.64


 

山田篤美『真珠の世界史』


根本 利通(ねもととしみち)


 山田篤美 『真珠の世界史-富と野望の五千年』(中公新書、2013年8月刊、940円) 

『真珠の世界史』
 本書の目次は次のようになっている。
  第1章 天然真珠の世界
  第2章 古代日本の真珠ミステリー
  第3章 真珠は最高の宝石だった
  第4章 大航海時代の真珠狂騒曲
  第5章 イギリスが支配した真珠の産地
  第6章 20世紀はじめの真珠バブル
  第7章 日本の真珠養殖の始まり
  第8章 養殖真珠への欧米の反発
  第9章 世界を制覇した日本の真珠
  第10章 真珠のグローバル時代
  第11章 真珠のエコロジー

 中公新書の『〇〇の世界史』シリーズの一環である。真珠のような宝飾品には全く興味のない私が本書を手に取ったのは、以前の読書ノートのヴィリヤーズの『シンドバッドの息子たち』で触れたように、ペルシア湾の真珠採集が前借で束縛された厳しい労働だったこと、あるいはラスカサスの『インディアスの破壊についての簡潔な報告』にあるように西インド諸島でもインディオの奴隷労働に基づいていたことを知ったからである。

 著者が「まえがき」で述べているように、本書は第1部の天然真珠の歴史(第1章~第6章)と、第2部(第7章~第11章)の養殖真珠の歴史に分かれる。申し訳ないが、私の興味から第1部に重心を置いたコメントとなる。

 第1章では、天然の真珠貝の本線であったアコヤガイの古来からの産地を紹介する。ペルシア湾と紅海、南インドとセイロンの間のマンナール湾、ベネズエラ沖、中国南部~ベトナム北東部、そして日本である。さらにアコヤガイ以外の真珠貝として、クロチョウガイ(ペルシア湾、パナマ、ポリネシアなど)、シロチョウガイ(アラフラ海など)、淡水真珠貝(長江、ミシシッピ川など)、イガイとアワビ(日本など)も挙げられている。

 第2章では、日本の古代の真珠を追う。アコヤガイの出土した貝塚は、著者の調べでは鹿児島、長崎、熊本、愛媛(沖縄は除く)で、特に鹿児島湾に多い。その一つの草野貝塚で日本最古の真珠が発見されている。3,300年以前のことになり、海人の存在も見えてくるという。3世紀『魏志倭人伝』に邪馬台国の壱与が真珠を5,000個魏に献上した記録がある。日本の特産品となったのだ。正倉院宝物にも真珠は多い。


英国エリザベス1世
(1588~89年ころ)

 第3章では、日本以外の古代の産地を紹介している。紀元前8世紀のギルガメシュ神話に出てくる真珠を思わせる草はペルシア湾のバハレーン島到来と推定する。ここで発見された真珠が、世界最古の宝石であるという。さらに南インドのマンナール湾でも、紀元前後からすでに真珠採集が行なわれていた記録がある。インドの仏教遺跡から真珠は出土するらしい。

 そうしたインドやアラビア産の真珠は、アレクサンドロスの東征によって、古代ギリシア・ローマに伝わった。プリニウスは『博物誌』のなかで、真珠とダイヤモンドを最高の宝石と評価している。「それを獲得するためには人命をも賭けねばならないような贅沢」ということだ。イスラーム時代には東方の物産情報が少し途絶えるが、13世紀末に出たマルコ・ポ-ロの『東方見聞録』によって、真珠の産地として日本、中国、南インド・セイロンが記された。

 第4章では、いよいよ大航海時代に入る。『東方見聞録』に書かれた金・真珠を求めて野心的な冒険家が船出したのだろうか?クリストバル・コロンが目指したもののなかに日本の真珠が入っていたと言われる。それは第3回目の航海でベネズエラ沖に到達したことで果たされる。マルガリータ(真珠)島、クバグア島などで、最初はあるものを略奪し、抵抗すると殺害した。さらなる採集のためにバハマ諸島からインディオを連れてきて潜水夫として酷使し、西インド諸島における先住民絶滅の原因の一つとなったと言われる。スペイン人はパナマの太平洋岸でもクロチョウガイ真珠を発見した。

 16世紀のポルトガル人によるインド洋交易への参入は暴力的なものだった。ポルトガルの目的はコショウをはじめとする香辛料が最大だったが、繁栄するインド交易の商品はすべて対象で、真珠もその中に入っていたという。ペルシア湾のホルムズ、南インドの諸港市、セイロンのコロンボを占領する。その真珠収奪の過程で、フランシスコ・ザビエルが登場する。ザビエルは南インドの真珠採り漁民の改宗という任務に携わった後、日本を目指したという。


英国チャールズ1世妃ヘンリエッタ
(1635年ころ)

 スペイン人、ポルトガル人が収奪した真珠は西ヨーロッパに送られ、その王侯・貴族階級の服飾に使われる。いびつなバロック真珠やヴェネツィアの真珠制限令のエピソードなどもおもしろい。そして17世紀にはライバルのインド産のダイヤモンドがヨーロッパに流れ込んでくる。

 第5章では、19世紀に英国がペルシア湾と南インドの二大産地をおさえ、ヨーロッパ市場を支配した話になる。しかし、19世紀半ばにはアメリカではティファニーが仕掛けた淡水真珠貝によるパール・ラッシュが起こる。またオーストラリアの北のアラフラ海ではシロチョウガイの採集のために、日本人潜水夫が雇用されていたという。

 第6章では、20世紀初めの20年間の真珠バブルという時代を回顧する。その背景として、1867年の南ア・キンバリーにおける発見からのダイヤモンド・ラッシュとそれにともなうダイヤモンド価格の下落。アメリカのニューリッチに対するティファニーやカルティエの真珠ネックレスの販売。さらにパリを本拠とするユダヤ人ローゼンタールによる真珠シンジケートの結成と価格操作を挙げている。

 第7章~第9章では、欧米におけるその真珠バブルをつき崩し、世界を制覇した日本の養殖真珠を語っている。御木本幸吉のすさまじいまでの野心、反御木本派の見瀬辰平、藤田昌世たちによる真円真珠の研究・開発で、それが可能になった。真珠バブルの絶頂期の欧米市場による「ニセ真珠」排斥運動を乗り越えて、天然真珠価格の暴落を引き起こした。また戦後直後の日本では、外貨獲得のトップクラスの輸出品として日本経済に貢献もした。

 しかし、日本の真珠産業が儲かる産業になったということは、それが世界に広がって行くのも当然の成り行きであった。第10章で描かれているように、日本はその養殖技術を門外不出にしようと努力する。しかし、1970~80年代にはタヒチ、オーストラリア、インドネシア、中国などに産地は広がり、日本の生産量の世界に占める割合は大幅に低下し、取引市場の中心も神戸から香港に移ったという。1990年代半ばには、日本の真珠は輸出を輸入が上回るようになった。


カージャール朝のファトフ・アリ-・シャー
(1814年)

 第11章では、養殖真珠の海に対する負荷の問題が述べられている。赤潮や新感染症の発生で、産地の英虞湾や宇和海は苦戦しており、日本の真珠生産は全盛期の4分の1以下に落ちている。著者は消費者に産地情報を提供し、産地と真珠を組み合わせたエコロジカルな楽しみ方を提案している。「豊饒の海があり、美しい真珠があること。それが日本の原風景なのだから」(P.282)と結ぶ。

 読み終わっての感想は、まず知らないエピソードが多く、おもしろかったということだ。かなり多くの文献にあたり、インタビューもされ、長い期間準備をされてきたのだろう。その努力に敬意を表したい。世界史ということでかなり幅広いテーマを詰め込んでいるので、読む方は消化するのに大変だった。

 「あとがき」に次のように書かれている。 「こうした真珠の狂騒は、当時、真珠がいかに貴重視されていたかを示している。それにもかかわらず、多くの歴史研究者は真珠がオリエントや新大陸の重要な交易品であったことをいまでも十分認識していない」(P.283)。私自身、インド洋西海域における交易には興味を持っていたが、真珠も交易品の一つだった程度にしか認識していなかった。この文章は著者による真珠に対する愛情表現と取れなくもない。

 本書を読んだ私自身の興味は、インド洋西海域のペルシア湾や南インド・セイロン島での真珠採集のための潜水夫たちの状況、そしてそれと比較する西インドのインディオたちの記録であった。そういう面では少し物足りなかった。ベネズエラでの16世紀の真珠採集の話は、著者の前著『黄金郷伝説』から読むべきだったのかもしれないが。

 ペルシア湾のことである。バハレーン、カタール、ドバイ、アブダビは旅したことがある。海が美しいとは思わなかったが、それは石油の産地という先入観がそうさせたのかもしれない。『エリュトゥラー海案内記』は約2千年前のころの記録だが、そのころ真珠貝が採集されていたことが出ている。1331年にペルシア湾を通過したイブン・バットゥータもバハレーン島周辺での真珠採集のやり方を記録している。潜水夫たちの前借の話ももう出ている。


クウェートでの真珠採集
Villiers(1939年ころ)

 ヴィリヤーズがクウェートの真珠産業のことを観察したのは1939年で、日本の天然真珠と世界の大恐慌が相俟って、崩壊過程であった。その年、クウェートから真珠採集船は150隻ほど船出したが、40年前だったら600隻を下らなかっただろうとある。天然真珠の価格は10分の1から30分の1まで暴落している。クウェートで石油はその前年の1938年に発見さていた(サウジアラビアでも同じ年)が、まだ商業手的輸出には至っていなかった。バハレーンでは1930年に発見され、1934年には輸出が始まっていたから、真珠不況の期間は短かったのかもしれない。

 本書ではバハレーンの潜水夫は「肌の黒いベドウィン族が多かった」(P.115)とあるが、どこからの引用なのだろうか?ヴィリヤーズも潜水夫の中にベドウィンが多いことを記している。ベドウィンとダウ船の船乗り、潜水夫とがうまく結びつかないのは私の知識不足なのかもしれない。ペルシア湾の潜水夫にはダウ船の下級船員、元は奴隷としてアフリカから連れてこられた人たちの子孫が多く、肌は黒く、顔立ちはソマリ系が多いのかなと思いこんでいた。「黒いベドウィン」というのが文字通りなのか、比喩的表現なのか。

 さて、ぺルシア湾、マンナール湾、ベネズエラ沖の真珠採集の潜水夫の様子はある程度分かったが、日本古来の天然真珠の採集はどう行われていたのだろうか。鹿児島県の柊原貝塚の様子から海人伝説が浮かぶ。また近代では「健康的で美しい体を持つ若い娘たちが海に潜っていた」とある(P.199)。海女の世界だが、世界のほかの産地との連関が見えてこない。

 つまり、日本国内では江戸時代まで真珠がさほど貴重な商品と思われていなかったのだろう。そしてコロンが来航するまでのベネズエラ沖の真珠はどういう商品価値を持っていたのだろうか。スペイン人たちによって強奪されるまではどういう位置づけであったのだろうか?ペルシア湾やマンナール湾の真珠のように西ヨーロッパ世界に送られて宝石として取り扱われることがなかったのだったら、「富と野望の五千年」にはやや弱かったのではないだろうか。総じて何となく不足感が残ったのは、私自身が宝石としての真珠に全く興味がないからかもしれない。

☆写真は本書およびヴィリヤーズの『シンドバットの息子たち』から

☆参照文献:
 ・ラス・カサス著、染田秀藤訳 『インディアスの破壊についての簡潔な報告』(岩波文庫、1976年初版)
 ・Alan Villiers ”Sons of Sindbad”(Arabian Publishing、2006年)
 ・Abdul Sheriff "Dhow Cultures of the Indian Ocean"(Hurst & Company、2010年)
 ・村川堅太郎訳注『エリュトゥラ―海案内記』(中公文庫、1993年、1946年初版)
 ・イブン・バットゥータ著、家島彦一訳注『大旅行記3』(東洋文庫、1998年)

(2014年7月23日)






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