読書ノート




読書ノート No.77


 

板垣真理子『キューバへ行きたい』


根本 利通(ねもととしみち)


 板垣真理子『キューバへ行きたい』(新潮社、2011年3月刊)。

『キューバへ行きたい』
 本書の目次は次のようになっている。
  巻頭エッセイ カーニバルの街で(佐々木譲)
  第1章 路地裏から見た街ガイド
   ハバナ
   サンティアゴ・デ・クーバ
   トリニダッ
   ビニャーレス渓谷
  キューバの歴史
  第2章 神々と太鼓と音楽
  人々・街角スナップ
  第3章 逆風を追い風にしたトップランナー
   世界が注目する有機農業・医療・教育制度
  第4章 ふたりの英雄 カストロとゲバラ
  今、なすべきこと(フィディル・カストロ)

 キューバに行ってみたいなぁと旅を誘う魅力的な小冊子である。いや、単なる旅行のガイドブックではなく、深みにはまったらそこに居ついてしまうような可能性を垣間見せてくれる本でもある。私自身はラテンアメリカはメキシコにしか行ったことがない。カンクンまで行ったので、カリブ海を覗いたことにはなる。老後に旅する目的地がまた増えた。ネタばらしにならないように、さわりだけを紹介する。

 第1章では世界遺産に指定されるような古い街を紹介している。古いといっても、キューバの場合はコロン以降ということになる。大航海時代の最初の時期のスペインによる植民地化と海賊の襲撃に備えた要塞化した港湾都市ということになるのだろう。首都であるハバナもアメリカによる半世紀以上の経済封鎖のおかげで、車の数は少なく、無秩序な再開発の波を受けず、町並みが保存されているという。

 コロニアル・スペイン風のということはバロック建築だけではなく、イスラーム風のパセオ(パティオ)などを持つ家屋があるらしい。ハバナの前の首都だったサンティアゴ・デ・クーバは革命の始まった都市。革命と音楽と坂の街とあり魅力的だが、数少ない知識のすぐ隣の永久租借されているグァンタナモ基地の存在が気になる。それ以外の古都トリニダッやビニャーレス渓谷のことも紹介されているが、行ってからの楽しみにとっておこう。


サンティアゴ・デ・クーバの街

 第2章は著者の本領である音楽と踊り。ソン、ルンバ、リンガラなどの話から、アフリカはヨルバ起源の宗教サンテリーアに進む。著者は最初ナイジェリアのヨルバ系の音楽にどっぷりとのめり込み、それを追って大西洋を越えてブラジルとキューバに渡ったらしい。ヨルバにおける神々や、キューバにおけるカトリックとそれの宗教混淆の解説も詳しい。本の表紙の色鮮やかな踊りもサンテリ―アのステージ版という。

 さらに美術(絵画)を概観した後、街角の人びとのスナップを撮る。「情熱」「結婚」「家族」「集う」「夜の公園」「人情‥せつなさ」「茶目っ気」「時」と副題がついているが、生きることを諦めない、恋をし、結婚し、年齢を重ねても続けていく。ラテンとアフリカが重なった家族が濃厚な土地だという。ただ似たようなブラジルとの違いにも触れ、同じ島国である日本との共通項もあるという。

 第3章は、やはりアメリカの経済封鎖とソ連圏との貿易関係の崩壊のおかげといえるような、先進的な有機農業、医療、教育制度に触れている。有機農業の実例の視察のためにキューバに行くツアーがあるらしいし、おいしくて安全な野菜はこれから貴重だろう。遺伝子組み換えバナナをアフリカに普及させようとする多国籍企業とは違う。また有機の規定も厳密な認証とかを目指すのではなく、ゆるい感じなのが魅力的だ。理念からではなく、「これをしなければ生き延びられない必要性」から生まれてきた賜物だそうだが、その実践には切羽詰まった感じでないのがいい。タンザニアでキューバの大学で学んだ技術者、医師に出会うこともある。

 第4章は、生きる英雄フィディル・カストロと若くして死にカリスマとなった革命家チェ・ゲバラの話。2013年12月に南アのネルソン・マンデラが亡くなり、カストロいよいよ生ける最後の巨人となった。2014年12月、バチカンの仲介でキューバとアメリカが国交再開の交渉を始めるというニュースが流れた。53年ぶり。この先スムーズに行くかどうかはわからないが、カストロが生きている間に、アメリカとの国交が再開されるとは思っていなかった。喜ばしいことではあるが、キューバにもアメリカの資本が流入してしまうのかと思うとちょっと複雑な気持ちもある。早く行かないといけないのかも。


ペアで踊る

 キューバという国は遠い昔(キューバ危機のころ)から、遠い憧れの国だった。「コカコーラなんか飲んではいけない。歯がぼろぼろになるから」と言われて育った世代である。カストロもチェ・ゲバラもはるかに遠い国の英雄たちだった。30年前にタンザニアに住むようになってから、大学の診療所でキューバ人医師といわれる人に会ったのが最初かもしれない。しかし、キューバ人とはっきりわかる人と会話した記憶はない。そしてタンザニアとチェ・ゲバラとの所縁を認識するようになった。

 チェ・ゲバラは1965年にタンザニアからコンゴ(一時ザイール)に部隊を率いて入っていった。その過程でコンゴの革命軍と称する反乱軍の実態に触れてしまう。そのなかでローラン・カビラ(前大統領)とも会う。カビラの酒と女へのだらしなさは、私もダルエスサラームで年配の人から聞いたことがある。それが真実に近い話なのか、あるいはゲバラの『コンゴ戦記』などからの伝聞情報なのかはわからない。『戦記』も伝記も読んでいないから、いくつかの引用文献による印象・雑感である。

 本書で著者はゲバラのコンゴでの姿を映したドキュメンタリーを見て、次のように述べている。「とても興味深いのは、ゲバラたちキューバ人が、アフリカ人と自分たちのメンタリティーと習慣の違いに驚かされるところである。戦場なのに家族連れでいること。‥静かに進攻する必要がある時にどうしても闘いの歌をおさえられないこと、などに驚愕し、困惑する」(P.127)。

 ジャーナリストの藤原章生は『絵はがきにされた少年』のなかで一章を割いて、「ゲバラが植えつけた種」を記している。1959年、キューバ革命と同じ年にルワンダでも革命が起こった。二級市民とされていたフツがツチ王政を打倒した革命である。1994年の大虐殺、カガメ政権で祖国復帰したツチ元王族に藤原はインタビューする。その王族ガクワンジ氏の軌跡は、1965年、コンゴでチェ・ゲバラと交錯する。ガクワンジ氏は当時タンザニアに亡命していて、タボラの収容所に入れられていたが、その支持するルワンダ人部隊がゲバラと共にコンゴで戦ったという話だ。

 当時、南部アフリカなどの解放組織・亡命者のたまり場になっていたダルエスサラームから入ったチェ・ゲバラは、アフリカ大陸中央のコンゴを拠点とし、南アのアパルトヘイト政権打倒までを含むアフリカ革命を夢見たという。しかし、コンゴ革命軍のやる気の無さ、規律のなさなどから敗退を重ね、7ヶ月でゲバラたちは撤退し、アフリカ革命支援は失敗に終わった。ゲバラ日記にはコンゴ人への愚痴・罵倒が書き連ねてあるという。そのなかで出会った「コンゴ人よりかなりまし」という評価のルワンダ人部隊が、王党派ツチ人の軍人部隊であったらしいという皮肉だ。


ゲバラのTシャツを着たマチンガ(ダルエスサラーム)

 ガクワンジ氏はこう語ったという。「彼らは私の観点から言えば、いわゆるインターナショナリストだということです。でも我々はそうではない。‥まずは自分の国に帰り、国を立て直すのが私の使命でした。だから、これはどうも違う、と感じたのです」(『絵はがきにされた少年』P.194)。藤原はいう「ゲバラの無知がコンゴやルワンダに不幸をもたらしたとは言えない。実際、彼はアフリカの歴史にかすり傷一つ残すこともできなかったのだから」(同P.208)。

 しかし、もしゲバラにアフリカ人に学ぶ姿勢があったとしても、またコンゴやルワンダの歴史や情勢を学んでいたとしても大勢に変化はなかっただろうと思う。ソ連批判を公然としていたゲバラにどれだけの武器支援が来ただろうか。しかし、ゲバラが蒔いたインターナショナリズムの種は、1987~8年のアンゴラにおけるクイト・クアナヴァレの戦いに結実し、南部アフリカの歴史の大きく影響を与えたというのは、後付けの議論なのだろうか。キューバのインターナショナリズムというのは瞠目に値すると思う。

 タンザニアでは依然チェ・ゲバラは人気だ。その顔をつけたTシャツだけでなく、ステッカーとして貼った車もよく見かける。2014年の新聞で、1960年代前半から半ばにかけての外国の要人(当時は亡命者など)の往来の跡を訪ねるツアーがあることが載った。ネルソン・マンデラ、ジョアキム・チサノ、マルコムXと並んで若きゲバラの写真が載っていた。彼ら自由戦士たちが会合に使ったニューアフリカ・ホテルやニューザヒール・レストラン(健在)を訪ねるのだという。

 キューバとタンザニアのつながりでいえば、ヘミングウェイの名前もあがってくるだろうが、アメリカ文学にとんと興味がなく、『キリマンジャロの雪』も『老人と海』も読んでいない身としてはコメントのしようがない。

 本書はアフリカ関係者のなかでは踊るカメラウーマンとして有名な著者からいただいたものである。正直に言うと偶然にお会いした著者におねだりしていただいたものである。ありがとうございました。感想を記すのが遅くなったことをお詫びしたい。キューバの歴史を調べてからコメントしたいと思っていたのだが、なかなかタンザニアでは歴史の本が入手できずに諦めた次第である。しかし、遅れたことによって、暗いご時世のなかで希望を持てるような本書で新年を迎えられることになったことをよしとしたい。人びとの輝くような表情を捉えた多くの写真が美しい。いつか著者に『タンザニアへ行きたい』という小冊子を出していただくことを夢見ながら。

☆写真は本書から。(ただし、ダルエスサラームの写真は除く) 

 

☆参照文献:
 ・板垣真理子『おいでよアフリカ』(晶文社、1990年)
 ・藤原章生『絵はがきにされた少年』(集英社、2005年)
 ・ネルソン・マンデラ、粟飯原文子訳「貧しく、権利を奪われた者たちが祖国を統治できるように」
   (『現代思想』2014年3月臨時増刊号所収)
 ・『The Citizen』2014年4月30日号

(2015年1月1日)






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