読書ノート




読書ノート No.82


 

宮本正興『評伝 グギ・ワ・ジオンゴ=修羅の作家』(1)


根本 利通(ねもととしみち)


 宮本正興『評伝 グギ・ワ・ジオンゴ=修羅の作家 現代アフリカ文学の道標』(第三書館、2014年10月刊) 

 昨年7月に「電話帳のような博士論文が出たで」と京都からの風聞が届き、それが10月に本になったと聞いた。親しい先輩である著者にお願いしていただき、娘に日本から運ばせて入手したのが2月であった。見るなり、「これが電話帳かぁ」と実感した。845ページ、そう簡単に寝っ転がって読み進める代物ではないというのがわかった。しかし、お願いしていただいたものを放っておくわけにもいかず、その後毎晩就寝前にベッドに持ち込んで読むのが日課になった。
『評伝 グギ・ワ・ジオンゴ』
 前置きはともかく、本書のおおまかな目次は以下のようになっている。もっと細かくあるのだが、それを記すと収拾がつかなくなるので大枠のみを記す。

  プロローグ 最初の「出逢い」
  第1部 幼少年期―時代と家庭の背景
  第2部 一粒の砂に世界を見る―何を書くのか
  第3部 コミュニティ演劇―過去との認識論的断絶
  インタールード マウマウ戦争と土地問題、
        あるいはケニア近現代史の五つの断面
  第4部 愛と力は家庭から―民族語小説の世界 
  第5部 文学と思想の軌跡
  エピローグ 現代アフリカ文学の意思
  グギ・ワ・ジオンゴ年譜
  ケニア近現代史年表
  現代アフリカ文学作家紹介

 プロローグでは著者とグギの「出逢い」が描かれている。作品との出会いは1970年ころだったようだが、1977年7月27日午後にナイロビ大学の文学科研究室でグギ本人に会う。出たばかりの大評判で売り切れて在庫のない新著『血の花弁』の話題。グギの案内でリムルの彼の実家への訪問。著者にとって大きな、そして幸せな「出逢い」から始まる。日本へ帰国後、グギの紹介を始めた著者に1978年1月にグギ拘禁の知らせが届く。

 第1部ではグギが小学校に入学したいかと母から訊かれる『泣くな、わが子よ』の冒頭と重なるシーンから始まる。土地を奪われた借地人である父には4人の妻、20数人の子どもがおり、生活は貧しい。とくにグギの母はグギが小学校に入った年に離婚し、6人の子どもを自力で育てている。そのなかでグギは一家の期待を一身に背負い、「勉強のできる子」として、勉強とくに英語に集中し、超エリート校であるアライアンス高校に進学する。植民地下のミッション系から独立系の学校への転校、1952年に始まるマウマウ戦争と非常事態宣言、実兄のマウマウ戦士への参加という時代が描かれる。

 第2部ではその困難な時代を生き、1959年7月、当時の東アフリカ最高学府のマケレレ大学に入学し、英文科に所属し、執筆活動を始めたグギを描く。「マケレレというオアシス」のなかで、英文科内の文芸誌「ペンポイント」に寄稿し、英語コンペティションに応募するという形で創作を始めた。初期の短編(全6作)にはギクユ民族の伝統・神話の影が濃く、キリスト教が象徴する近代との狭間・衝突を描いているという。紹介されてる『黒い鳥』が印象に残る。グギの創作活動は小説だけではなく戯曲が並行しているが、初期の戯曲として3作が紹介されている。

 初期・中期の三大長編小説である『川を隔てて』(1961年完成、1965年刊行)、『泣くな、わが子よ』(1962年完成、1964年刊行)、『一粒の麦』(1967年)を紹介する。『川を隔てて』は1920~30年代という大戦間期の川を隔てた二つの村のギクユの伝統維持とキリスト教受容をめぐる対立を描く。『泣くな、わが子よ』は第二次世界大戦直後から、とくに1950年代のマウマウ戦争の時代を描いている。グギの自伝的な主人公ジョローゲがいる。『一粒の麦』は独立前夜のケニアで、マウマウ戦争の傷、革命戦士側と植民地政権協力者との疑心暗鬼を描く。著者は便宜上、初期・中期と分類しているが、一連の三部作であると思われる。それぞれに著者は「社会に走る亀裂」「家庭崩壊と夢の挫折」「独立にかける夢」という副題を付けて、時代の流れを示している。この三部作以外に、中期の短編(4作)と戯曲(1作)にも触れられている。

 さて、後期といってもグギの作家人生ではまだ前半で、英語作家であった後期という意味だろう。短編(4作)のなかでは『ベンツ族の男』のように独立後を象徴する話がある。後期戯曲『デダン・キマジの裁判』(1976年)と小説『血の花弁』(1977年)は、マウマウ戦争と独立後の裏切られた大義を描いている。マウマウの記憶がもたらした分裂とそれを乗り越えたように見せながら独立後に生みだされていった黒いブルジョワジーに対する鋭い批判。しかし当然それに対する反発・攻撃は起こるわけで、マウマウ戦争評価に対する「部族主義的」という歴史学者からの批判に触れられる。ここはナショナリズム―ネイションの解釈の問題で、強い反論が期待される。


 第3部では、いよいよ民族語であるギクユ語による創作と民衆演劇の活動に入っていく。このグギの人生にとっての大転換になる事件も、実はたいそうな決意・覚悟の上に踏み込まれたのではないと思うのだが、どうだろうか。『したい時に結婚するわ』というグギの故郷リムルのカミリズ村での村おこしのための識字運動の一環としての、ギクユ語による民衆演劇の上演運動は1977年10月、マウマウ戦争勃発25周年に始まった。大好評をとったこの運動の結果、1977年12月31日に、グギは拘禁され、その1年後釈放されるものの大学を解雇されることになった。英語小説『血の花弁』とほぼ同じテーマで創り出されたこの演劇は、ギクユ語でなされたがゆえに大きな運命の変化をもたらした。1982年にギクユ語民衆演劇の第二作『母よ、我がために歌え』は、より語りを減らしたミュージカルで、ギクユ語がベースだが、カンバ、ルオ、ルヒヤ、カレンジン、グシイ、ギリアマなどのさまざまな民族語で植民地支配下の抵抗の歌が歌われるという画期的なものだったが、上演許可が下りずに、幻のミュージカルになってしまったという。グビは1982年、自主亡命に追い込まれる。

 インタールード(幕間)ではグギ文学の背景であるケニア近現代史に触れている。19世紀末~第一次大戦前まで、抵抗の系譜、マウマウ戦争(非常事態)、ケニヤッタの時代(1963~1978年)、モイの時代(1978~2002年)、2002年以降という風に流れを追っている。マウマウの黒幕と指弾されロドワールに幽閉され、それがゆえカリスマ性をまとって初代の大統領になったケニヤッタがマウマウの戦いを全面的に否定したこと、その最晩年とその後継となったモイとの転換期に、グギの『したい時にヶ紺するわ』の上演運動があった。ケニヤッタ~モイ時代に、多くの批判的な政治家が暗殺されたり拘禁されたが、グギの拘禁・亡命はその時代の象徴だろう。

 第4部は民族語で表現することを選んだグギのギクユ語小説の作品についてである。『十字架の上の悪魔』(1980年、英訳版1982年)、『マティガリ』(1986年、英訳版1987年)、『カラスの魔法医』(2004~6年、英訳版2006年)の3作である。この3作の紹介に際して、著者はそれぞれ「新植民地を描く」「たたかいは続く」「20世紀アフリカの総括」という副題を付けている。原作を読むことのできない身としてはその副題の沿って読むことになる。ワリインガ~グゼラ~ニャヤウィラと流れるヒロインの系譜には共通した造形があるようだが、時代が流れるにつれより活動的、フェミニズム的になっていくように思える。これはグギの欧米での亡命生活を反映しているのだろうか。しかし、ギクユ語表現の口承的な、寓話的な色彩も濃いようだ。文学論はわからないので触れない。

 第5部はグギの文学と思想の軌跡を記す。著者はマケレレ大学時代にグギがケニアの新聞に投稿していた「初期ジャーナリズム時代」(1961~64年8月)、「リーズ留学時代」(1964年9月~67年7月)、「ナイロビ大学在職時代」(1967年10月~77年12月)、そして「アフリカの言語宇宙を開く」という風に分けている。初期の学生の時には社会主義揶揄、ケニヤッタ礼讃もあったらしい。グギの転換期というか、英国以外の世界に目が開かれたのはリーズ大学留学時代だったらしい。フランツ・ファノン、マルクス主義の著作、そしてラミングをはじめてとする西インド文学との出会い。さらに60年代後半という時代のなかで、ベトナム反戦やパレスティナ問題とも出会った。そしてアフリカ文学の目的、アフリカ人作家は誰のために書いているのかを沈思するようになった。1967年『一粒の麦』を書きあげ、英語小説作家としての名声を確立したころである。

 ナイロビ大学在職中に、キリスト教名であるジェームスを捨て、グギ・ワ・ジオンゴと改名した。また、英国文学の伝統を学ぶ英文科から、アフリカ文学を中心に学ぶ文学科に改革する中心勢力となった。そして民族語で表現する重要性を主張し始める。文化的植民地状況を脱し、アフリカ口承文学の伝統の蓄積の上で、アフリカ民衆の意識を代弁し、解放することがアフリカ文学の目的であるとする。しかし、チヌア・アチェベなどの既成の作家からは無視あるいは批判され、孤立した営為となる。

 エピローグも長く重たい。グギの先輩であり、グギを見出し文学界に送りだしてくれた恩人でもあるアチェベの文学(『部族崩壊』など)とグギとの出逢い。二人が活躍したアフリカ人作家シリーズの歴史を語る。そして比較のためにと題して、オクリ、ブリンク、ヘッドの紹介をする。特にナイジェリアの第二世代のベン・オクリというアフリカ文学の枠に収まりきらない作家の存在が興味深い。そして、最後に「アフリカ文学の意思」と題した著者の結論を語っている。


『したい時に結婚するわ』上演シーン

 最初、電話帳を見たときには、読了するのに半年くらいかかるかなと思ったのだが、実際にはどんどんと読み進み、途中からはもったいないからとゆっくり読むように努めたものの、1ヶ月あまりで読了してしまった。これは著者からときどき話をうかがっていて、背景をある程度は知っていたこともあるだろう。読み進んでいるうちは、疑問点にぶつかると英語の原典に当ってチェックしようと思ったのだが、読了してみると頭を抱えた。いやぁ、これだけ精緻に読み込んで噛み砕いてくれている著者の解釈に、1~2回読んだだけで太刀打ちできるものかという思いがした。ということで、『Petals of Blood』などへの挑戦は簡単に諦めてしまった。従って以下の感想は著者とグギの周辺を回っているにすぎない。

 私が『一粒の麦』を著者に主導されて英語で読んだのは1977年だったと思う。それが著者にとって大きな出逢いであった1977年7月の前であったか、後であったか残念ながら記憶が定かではないが、おそらく前であったろう。その後、1978年に私は関西を離れ、1984年には日本を離れてしまったので、著者を中心とする少数精鋭のアフリカ文学研究会の活動には参加していない。研究会は多くの労作があり、多くの作品の紹介をされているが、その中心にはグギの作品の軌跡の研究、評価があったように思える。本書は著者による一つのライフワークの完成である。

 本書の第1~2部の原型に当るものは、『アフリカ人はこう考える』(1985年刊)のなかの「グギ・ワ・ジオンゴ小伝」と『文学から見たアフリカ』(1989年)のなかの「グギ・ワ・ジオンゴ論」にある。もちろんその後30年近い経過があり、その間に明らかになった事実、研究の蓄積による大幅な改訂ではあるが、原点はそこにある。今回、その旧著の「グギ論」を読み返して時代の香りを感じた。ベトナム反戦運動、大学闘争、金芝河事件と続き、その閉塞状況のなかで向けた眼の先にアフリカがあったのかもしれないという私個人の思いが重なる。独立10年以上を経過して、新興アフリカ諸国の新植民地的状況が明らかになってきていた時代だ。南アのアパルトヘイトは強固として存在し、1976年にソウェト蜂起が起こった。

 タンザニアはウジャマー社会主義の旗を高く掲げていたが、その経済的不振は明らかであり、隣のケニアの方が繁栄しているように見えた。それはケニヤッタ政権の末期であり、マウマウ戦争の最大の焦点であった土地問題は解決されないまま、格差は拡大していった。グギが『血の花弁』を出版し、『したい時に結婚するわ』の演劇活動を始めたころである。社会主義の理想に陰りが見えていたころと言ってもいい。その後、ケニアはモイの長期独裁政権時代に入り、グギは亡命に追い込まれた。モイに代わって登場したキバキもウフル・ケニヤッタも所詮は初代ケニヤッタ政権の重要閣僚とその息子であるから、同じような縁故主義、利権独占、人権抑圧の強権支配を続けている。世襲政治家がいけないとは言えないが、権力者の家系には人権意識が乏しいのは共通しているように見える。

 キリスト教の問題である。植民地主義と共に入ってきたキリスト教が、伝統的社会の価値を切り裂き、人びとを分裂させていったことを厳しく告発している。それはアチェベの初期作品でも同じことだが、アチェベはキリスト教の枠内に留まっているように見える。果たしてグギは洗礼名と共にキリスト教そのものをも捨てているのだろうか?そのように見える。しかし、『マティガリ』の主人公創造に、キリストが投影しているように見える気がする。グギの子どもたちはどうなのだろうかと思ったりもする。

 我がタンザニアでは、民族間の対抗意識が希薄で、かつスワヒリ語が広範に使用されていたから(もちろん、それは天与というか自然発生的なものではないのだが)、スワヒリ語小説・戯曲・演劇運動は早く起こっていた。例えばマジマジの反乱を描いた戯曲エブラヒム・フセインの『キンジェケティレ』は1970年の刊行である。それは当時の民族主義史観の盛り上がりを背景としたダルエスサラーム大学の文芸思潮を背景としたものだ。マジマジの反乱はタンザニアの民族運動史上最大の抵抗運動だが、マウマウ戦争とは時代も違うし、植民地主義の質も違う。従って、グギの『したい時に結婚するわ』とフセインの『キンジェケティレ』を単純に比較することは避けたい。私は1975~6年にこの2カ国を旅したが、その時すでに現れていたこの2カ国の行き方の違いを思い出す。ダルエスサラーム大学では1980年代、スワヒリ語劇はよく上演されていたが、それは知識人による活動だったのだろう。現在の状況は知らない。


逮捕直後のデダン・キマチ

 文学の市場、需要ということも考えてみたい。アチェベたち英語で書くことによって名声を欧米で確立した作家たちにとって、英語で書くことを放棄し、イボ語で書くことはできない相談だったろう(『チヌア・アチェベのこと』参照)。また、イボ人であるチママンダ・アディーチェもアメリカに住み、英語で小説を書き、「口承文学の豊かな伝統を受け継いでいる」と評されているという。たしかにアディーチェの小説はおもしろいと思う(『アメリカにいる、きみ』参照)。でもこれはアフリカ文学なんだろうか?アフリカ人作家であることは間違いないし、「アフリカ文学」の厳格な規定は無用、あるいは変化するとしてもいい。ただ読者が誰なのかと考えてしまう。ナイジェリア人知識人、英米に移住したアフリカ人、そして欧米人とその先にいる日本人などなど。「アフリカ文学の意思」とは何かを考えることになる。

 少なくともタンザニアで見ている限り、スワヒリ語にせよ、英語にせよ、文学(小説、戯曲、詩)は先細りのように見える。出版活動が盛んではなく、書店を覗いても新刊本が少ないように見受けられる。1980年代は経済不振で出版件数自体が極端に少なかったが、演劇活動は盛んだったように思う。現在は思想の伝達手段としての文学・演劇活動は弱まっているように感じられる。民衆の意思、あるいは不満を代弁する手段として文学は生命を持ちつづけることができるだろうか。

 また厄介な問題を考えたい。「部族」という言葉の使い方についてである。本書のなかでの「部族」という表現を著者はどう使い分けているのだろうか。原著に「Tribe」「部族」とあれば、それを尊重してそのまま翻訳あるいは引用するという立場だろうか。しかし、著者の地の文でも何回か出てくる。それは例えば割礼のような伝統儀式や、初期の小説『川を隔てて』や『泣くな、わが子よ』の内容紹介の項である。ヨーロッパ植民地権力とキリスト教が侵入してきた初期のころは、ギクユ人は部族共同体の段階にいたという理解なのだろうか。ギクユ人、ギクユ民族と表記し、ケニアは多言語・多民族国家であるとする著者がなぜ伝統に関して「部族」という言葉を使うのだろうか。

 本書に次のような著者の文章がある。「先の文中、his tribal god を his people's god に変更している。なお、ある時期から、全作品を通じて、tribeという用語の使用を排除する傾向が強い。」(P.220)。これはグギの作品を初めての発表(1962年)、他人による編集の短編集(1965年)、自分の編纂した短編集(1975年)の段階を追っての、語句の変遷の比較である。ある時期というが明示されていないが、1975年にはグギの意識ではそうなっていたということだ。グギの意識の変容に著者も歩調を合わせて表記したということだろうか。

 アチェベの出世作に『Things Fall Apart』がある。これを日本語で『部族崩壊』と訳したのはアフリカ文学紹介の先駆者の土屋哲氏だったのだろうか。1977年の古川博巳氏の日本語訳では『崩れゆく絆』とされ、一昨年出た新訳でもそれが踏襲されている。それを十分踏まえていてあえて『部族崩壊』という書名を採用した著者の目的は何なのだろうか。少なくとも原著のタイトルには「Tribe」はない。小説の舞台は20世紀初頭のナイジェリアのイボ人地域である。この時期のイボ民族は部族共同体であって、キリスト教と英国の侵入によって部族が崩壊していく過程を描いたということなのだろうか。あえて部族という言葉を使わなくてもいいように思う。

 副題に「修羅の作家」とある。私の浅い知識では、修羅というのは阿修羅のことで、戦争・憤怒・情念の象徴である。「戦う作家」という比喩だろうか。グギは老齢となった今なお戦い続けているのだろうか。アメリカの地で誰を相手に語り、戦っているのだろうか。そしてグギの子どもたちは。……どうも、簡単な紹介では終わらなくなってしまったようだ。いったん仕切り直して、再度この大著と取り組むことにしたい。従って、この稿続くということになる。



☆写真は本書から。

☆参照文献: 
 ・グギ・ワ・ジオンゴ著、宮本正興訳『泣くな、わが子よ』(第三書館、2012年)
 ・Ngugi wa Thiong'o "Weep not, Child" (Heinemann,1987, First published 1964)
 ・Ngugi wa Thiong'o & Michere Githae Mugo "The Trial of Dedan Kimathi" (Heinemann,1976)
 ・Ngugi wa Thiong'o "Devil on the Cross" (Heinemann,1982, First published in Gikuyu 1980)
 ・グギ・ワ・ジオンゴ著、宮本正興編、アフリカ文学研究会訳『アフリカ人はこう考える』(第三書館、1985年)
 ・グギ・ワ・ジオンゴ著、宮本正興・楠瀬佳子訳『精神の非植民地化』(第三書館、増補新版2010年、初版1987年)
 ・宮本正興『文学から見たアフリカ』(第三書館、1989年)
 ・松田素二・津田みわ編著『ケニアを知るための55章』(明石書店、2012年)
 ・チヌア・アチェベ著、粟飯原文子訳『崩れゆく絆』(光文社新訳文庫、2013年)
 ・Ebrahim N. Hussein "Kinjeketile" (Oxford University Press,1969)

(2015年4月1日)






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