読書ノート




読書ノート No.83


 

金子光晴『西ひがし』


根本 利通(ねもととしみち)


 金子光晴『西ひがし』(中公文庫、1977年刊、初刊は中央公論社、1974年刊)。

『西ひがし』
 本書の目次は次のようになっている。
  「月の世界の人」
  マルセイユまで
  波のうえ
  氷水に浮いている花
  関帝廟好事あり
  関帝廟第二
  夢は蜈しょう嶺を越えて
  さらば、バトハパ
  情念の業果
  やさしい人たち
  おもいがけないめぐりあい
  ふたたび蛮界
  蚊取線香のむこうの人々
  かえってきた詩
  紫気に巻かれて
  口火は誰が
  マラッカのジャラン・ジャラン
  疲労の靄
  世界の鼻歌

 この本は『マレー蘭印紀行』の続編である。正確には、旅の流れとしての続編は『ねむれ巴里』になるのだと思うが、パリでの話には今はあまり興味が湧かないので、読んでいない。本書は詩人による紀行文であるが、散文詩とでもいうべき文章である。しかし、その文学的香味を味わうのではなく、当時日本では南洋と呼ばれ英国の植民地であった現在のマレーシア、シンガポールにおける日本人植民者の意識を知る史料として読んでいる。

 冒頭の著者はベルギーのブルッセルに彼女(妻)と一緒にいる。郷愁が強い彼女を残し、シンガポールまでの金を工面し、日本郵船の船でマルセイユから船出する。日本に帰って帰国用の金を彼女に送るということになっている。ブルッセルからマルセイユの移動の間、パリにしばし滞在するのだが、その時に満州事変勃発のニュースを知る。フランス人の中国びいきに出会う。1931年12月のことで、そうした時代背景がある。

 シンガポールで船を下りた著者は、シンガポールという街に合わないのか、旧友との再会もそこそこに、そそくさと旧知のマレー半島のバトハパを訪ねる。前著の『マレー蘭印紀行』でも詳細に書かれているマレー半島の日本人ゴム園と鉄鉱山の拠点都市である。そこの日本人倶楽部には3年前に会った会長が健在で再会する。ジャングルに接し野獣の咆哮が聴こえる土地の方が気がおさまるらしい。

 その後も、シンガポールに出たり入ったりし、シンガポールに心安い知人もいるのだが、著者はまま、マレー半島の東部などに出かけ、辺地でめったに来ない日本人の来訪を歓迎してくれる人たちを訪ねて絵を描き、小銭を稼ぐ。そして日本へ向かう船賃を稼いだと思ったら、さまざまな情事に沈澱して、手持ち金を減らす。現地に住み着く、あるいはスマトラとかビルマとかへ出かけることを夢想する。夢とも現ともわからない暮らしをずるずる続けているうちに、彼女が愛人を伴ってシンガポールに戻り、そのまま先発して日本へ向かってしまう。著者はその後の便船で彼女を追う羽目になる。


金子光晴

 私が惹かれた一節を断片的に取り出してみよう。

 「船がヨーロッパを離れて、東洋がくらいめし椀のように頭からかぶさりかかってくるのをおぼえた。」(P.27)

 「日本人にとっては昭和のはじめの太平に酔っていた時代で、革命の到来をやすやすと口にする連中も、年月富を蓄積した、植民政策と近代兵器の先進諸国が、二十年経たないうちに、さしもの権益を放棄して、苦しい立場になるなどということは信じられなかったし、とりわけ外地にいる日本人たちは、中国から東南アジアにかけての資源の永久確保を夢にも失うことがあろうとは、想像もできなかった。」(P.36)

 「日本の男と、中国人の女という、さほど決定的とはおもわれない、地域的にも近い隣国同士の民族、国家の利害でおもいこまされた反感や、軽蔑をたがいに抱いていて、とりわけ昨今の不穏な国際情況のなかでは、保身的にも親睦の情を示すことが、危険でさえあった。」(P.53)

 「シンガポールでは、すでに、中国人の対日排斥感情が激しくなり、夜の娯楽場の「大世界」などで日本人がうろうろできなくなっていたが…それにしても南方華僑の排日も、本国の政府の言いなりに、足並みをそろえさせられているだけのわけもない。陳嘉庚や、胡文虎兄弟等の財閥が起って、資本家として発展するためには、日本の大資本の侵入の途を断つより他はないわけだ。…きりすと教国人は、きりすとの神にみはなされた民族を、じぶんたちと一緒に考えることは、外面は平等精神でとりつくろっても、心の底の底では、潔しとは考えられないらしい。」(P.62~63) 

 「山で働いている日本人はみな、トワン(旦那様)であったから、支那人やマライの住民に対してイギリスのプランターにならって、鷹揚にかまえていればそれでよかった。そして、彼ら先住民に対して、親しみすぎることも、尚更同化することなどは、もっての外の面よごしであった。」(P.101) 

 「熱帯の土着民族たちは、未開の人種に属して、西洋の旦那たちに、こきつかわれる運命で、こきつかわれる運命にはじめから生まれついているのであるから、彼ら賤民を、土足と笞で追いつかって、いつも、不遜な心を起すことないように、やさしいことばなどをかけてつけあがらせないように心掛けることが、日本人が西欧人並に対面をたもつことのできる道すじだという気持が下敷になって、…」(P.231)

 本書は前著『マレー蘭印紀行』と同じ時期の著者の放浪記である。つまり1928~32年の放浪時代を描いている。しかし、前著が1940年に刊行されたのに対し、本書は1974年の刊行で、翌年に著者は不帰の人となっている。いわば晩年の遺書のようなものだが、やはり日本の敗戦を踏まえて書いているというところが違うと思われる。例えば朝鮮戦争や第二次世界大戦の後のアジア・アフリカの独立国の話が突然出てくるとびっくりする。戦前の南洋の話かと思って読んでいるとそうでもない回顧録の要素もあるのだ。その後の歴史の展開を踏まえたうえでの記述なら、必ずしも一級の歴史史料とはいえないのかもしれない。

 しかし、大正自由主義の洗礼を受けた芸術家(詩人・画家)の魂の遍歴のなかに、浮かび上がってくる日本人植民者、華僑、インド系、マレー系の人びとの姿は興味深い。そして、満州事変から第一次上海事変が起こり、日中戦争に驀進しつつある時代と、現代を重ねてみたりする。政治家たちは歴史を学ばないのだろうか。…次は『ねむれ巴里』かなと思う。



☆参照文献:
 ・金子光晴『マレー蘭印紀行』(中公文庫、1978年。初刊1940年)

(2015年5月1日)






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