読書ノート




読書ノート No.25


 

『〇〇の世界史』


根本 利通(ねもととしみち)


 最近、と言っても私は日本に住んでいないので、いつからかはよくわからないのだが、『〇〇の世界史』という題名の本、主に新書本がよく出版されているようだ。世界史ブームなのか、単に新書戦争のネタに困って、安易に編集者が勧めているのかは知らない。

『居酒屋の世界史』
 手元に多くあるわけではないのだが、以下の何冊かを読んでのコメントをしたい。私が読んだ順番ではなくて、出版年代順に並べてある。

  ①角山栄『茶の世界史』(中公新書、1980年)
  ②臼井隆一郎『コーヒーが廻り世界史が廻る』(中公新書、1992年)
  ③川北稔『砂糖の世界史』(岩波ジュニア新書、1996年)
  ④中丸明『海の世界史』(講談社現代新書、1999年)
  ⑤伊藤章治『ジャガイモの世界史』(中公新書、2008年)
  ⑥武田尚子『チョコレートの世界史』(中公新書、2010年)
  ⑦下田淳『居酒屋の世界史』(講談社現代新書、2011年)

 なぜそんな気になったのかというと、最新の『居酒屋の世界史』を読んでいて、これは世界史ではないよなと思ったからだ。帯に書いてあるように「居酒屋を覗くとヨーロッパ文明が見える」という内容の本なのだ。確かに、イスラーム圏、中国、韓国、日本の居酒屋にも触れているけど、その部分は付け足しというか、無理してくっつけた感じで、おもしろくない。著者はドイツ近世史が専門のようで、前著『ドイツの民衆文化』(昭和堂)のような生き生きとした筆遣いがない。

 本書の「はじめに」のなかで、著者が「残念ながら、ラテンアメリカやオセアニアなど紹介できなかった地域もあるが」と書いているのを見て、かちんときてしまった。アフリカの歴史を学んでいる者として、世界史の中にアフリカが存在しないのは耐えられない。アフリカにだって居酒屋はあるさ…。著者は例えば『西欧史における居酒屋』とでも題せばよかったのに、編集者が『〇〇の世界史』にこだわったのだろうか?羊頭狗肉というのだろうか。

『チョコレートの世界史』
 そこで思い出したのが『チョコレートの世界史』である。この本もあまりおもしろくなかった、世界史になっていなかったという記憶がある。『〇〇の世界史』と称する割には、世界史的観察に欠けているという感想なのだ。著者(武田尚子氏)は瀬戸内海の離島地域や東京月島の都市社会を研究されている社会学者のようだ。それがなぜチョコレートの世界史かというと、英国のチョコレート・メーカーであるロウントリー(Rowntree)社関連の資料に接したことから始まる。ロウントリー社の都市社会での福祉の関わりから、英国のチョコレート産業の発達の歴史、お隣のベルギーの有名なチョコレート・メーカーへとたどっていく。

 チョコレートの原料であるカカオはラテンアメリカ原産であるから、そちらに眼が向く。ラテンアメリカの中でもメソアメリカという中米の地域だそうだ。マヤ、アステカ社会の特権階級の嗜好品だったカカオから作られた飲料が、16世紀に征服者として登場したスペイン人に愛好され、17世紀にはフランス領のカリブ海植民地で栽培され、大西洋三角貿易の一角を担って、ヨーロッパに流れ込んでいく様子が記される。

 現在のカカオの主要生産国ランキングは次の通りだそうだ(本書による2005/6年の順位)。①コートジボワール②ガーナ③インドネシア④ナイジェリア⑤カメルーン。6位にブラジル、7位にエクアドルが顔を出すが、原産地ラテンアメリカの比重はかなり低い。圧倒的に西アフリカ諸国、特に1位のコートジボワールと2位のガーナで、世界の生産の78%のシェアを占めている。カカオ農園での児童労働の話題もちらほらある。その地域に著者の関心は向いていなかったように思われる。

 名著の評判が高い『砂糖の世界史』を初めて読んでみた。インドネシア起源(?)とされるサトウキビが、インド、アラビアを経由して、イスラーム勢力によって地中海の島々、そして大西洋の島々で栽培されるようになる。そしてコロンの2回目の航海で、カリブ海の島々に移植されて、世界商品となっていく。ここでアフリカ大陸西海岸を巻き込んだ三角貿易が生まれ、英国の産業革命の基礎を築いていくことになる。

『砂糖の世界史』
 そうしてもう一つの世界商品である茶(紅茶)と結びついて、当時(17世紀)共に高級品であった紅茶に砂糖を入れるという上流階級のステイタス・シンボルとしての英国の紅茶文化が生まれる。そして19世紀初めの産業革命期の労働者の朝食(イングリッシュ・ブレックファースト)に普及していく。英国を世界の中心にすえて、極東(日本・中国)からの茶と、西端(カリブ海)からの砂糖を合わせた形で、世界経済制覇の流れを示す。そして、奴隷貿易廃止運動が、必ずしも宗教的、人道主義的動機から起こったのではないことを示す。「砂糖のあるところに、奴隷あり」というキーワードが繰り返される。

 高校の世界史の教科書にあるような典型的な説明(本書はジュニア新書で、対象もそうだろうが)で、著者があとがきで書いているように「世界システム論」と歴史人類学の方法で記されている。わかりやすいといえる。 砂糖という典型的な世界商品が主人公であり、当然奴隷を供給させられたアフリカ大陸にも目配りがあるから、世界史の記述であることは同意できる。

 この手の新書本の起源になるのかどうかは知らないが『茶の世界史』を今回再読してみた。砂糖の世界史と重なる部分が多い。中国・日本の緑茶文化から、それに砂糖を入れた紅茶文化を生み出した英国中心の世界史だからである。初版は1980年、著者は特に英国経済史がご専門の方である。

 茶の世界史を、東洋(中国、日本)の緑茶文化とヨーロッパ(英国)の紅茶文化の相克として描き出す。16世紀にヨーロッパ人が出会った茶は食事文化、精神文化を体現する後世の東洋趣味的な受け入れ方をされた。17世紀後半、まだ一部の高貴な人たちの独占であった紅茶は、18世紀に入り、カリブ海植民地(バルバドス、ジャマイカなど)での砂糖生産の増大とともに上流階級の文化として定着する。そして19世紀の産業革命の進行とともに労働者階級にも普及し、ついに英国文化として完成する。それを著者は物資的奢侈もしくは物質文化志向とみなす。

 そして英国における紅茶文化の定着の背景として、カリブ海の砂糖植民地、その労働力としての大西洋奴隷貿易、茶の独占的産地中国の門戸をこじ開けるためのアヘン貿易、インドの綿業の壊滅、インドのアッサム茶の発見とインド・セイロン紅茶の大生産に触れていく。19世紀後半に開国した日本の緑茶の世界戦略と敗北にも言及する。西欧特に英国を中心とした商品の世界史である。

『茶の世界史』
 茶、チョコレートと並んで世界商品としての飲料の代表であるコーヒーについても多くの書物があると思うが、『コーヒーが廻り世界史が廻る』に少しだけ触れておきたい。この本は「ドイツ東アフリカ植民地」に一章を割いているのだ。現在のタンザニア本土、キリマンジャロ・コーヒーの産地である。

 著者の専門がドイツ文学であるからか、旧ドイツ領東アフリカに目を向けたのだろう。ドイツ語文献を多用している。しかし、そのため当然というべきか、タンザニア近代史の記述には首を傾げてしまう。特に賃金労働の強制と、それに対するアフリカ人の反抗に関わる部分である。「ルワンダとウールンディの住民は、…畑仕事に向いていない。マサイ族のように狩猟で生活している部族は…」といったくだりは、あまりにも初歩的な誤りであろう。ドイツのその後の展開、人種差別主義とナチズムの台頭に、東アフリカ植民地の経験が寄与したとするなら、支配を受けた東アフリカ民衆の記憶にも触れるべきであろう。

 『ジャガイモの世界史』はジャーナリストらしく、「貧者のパン」というテーマでジャガイモの伝播を世界に追う。原産地であるペルーのティティカカ湖からアイルランド、ドイツ、ロシア、日本へと。日本のジャガイモでは、満蒙開拓団まで視野に入る。しかし、重要なのは19世紀前半の英国の産業革命を支えたアイルランドと英国労働者の食事情であろう。英国の植民地として厳しい搾取と受けたアイルランドの食を支えた、そして産業革命下の最下層労働者の食卓を支えたジャガイモを描く。

 『海の世界史』は世界商品の歴史ではなく、海を舞台とした世界の交流、海洋民族、あるいはヴァスコ・ダ・ガマコロン、マゼランなどを描いているので、上記の類似の本とは少し異質である。しかし、世界周航のきっかけとなった香料をはじめとして、トウモロコシ、ジャガイモ、トマト、チョコーレート、コーヒーなどに触れている。

 羽田正著『新しい世界史へ』のなかで、「読書ノート」第19回」、新しい世界史のアプローチの仕方として、「世界システム論」批判があった。ヨーロッパ中心史観を体現しているということだ。

 世界商品である砂糖、茶、コーヒーを主人公にすれば、「世界はひとつ」という観点から世界史は描けるだろう。チョコレートやジャガイモがやや弱く見えるのは、世界商品としての影響力の差だろうか?居酒屋はそういう意味で世界史として描くのは無理があったのかもしれない。

 しかし、世界システム論的に描けば、世界史の中心がスペイン、ポルトガル、オランダ、英国、フランスという西欧、特に英国よって完成するように流れを作ってしまう傾向が出てしまうだろう。「世界はひとつ」ということの解釈が違ってくるのではないか。

 過去に「歴史のない暗黒大陸」と描かれ、比較的最近の世界システム論の中でも専ら奴隷貿易、植民地として収奪される被害者として位置づけられてきたアフリカ史を学ぶものにとっては、心穏やかではないことがままある。無視されてきた少数者の僻みという側面もないことはないが、やはり世界史の再構築は必要だと思うのである。マクニールの『世界史』が知的なベストセラーになっているようでは、なお道は遠いということだろうか。

 

(2012年11月1日)






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