読書ノート




読書ノート No.89


 

伊谷純一郎『サル・ヒト・アフリカ』


根本 利通(ねもととしみち)


 伊谷純一郎著『サル・ヒト・アフリカ―私の履歴書』(日本経済新聞社、1991年9月刊、1359円)。
  

『サル・ヒト・アフリカ』
 本書の目次は次のようになっている。
  Ⅰ. 私の履歴書
  Ⅱ. 旅立ち
  Ⅲ. 野生とその周辺
  あとがき

 日経新聞の「私の履歴書」シリーズははるか彼方の思い出である。その昔、大手銀行員だった父は日経新聞を購読していた。そこに掲載されていた「私の履歴書」は経済人のものが多かったが、そうでない人の履歴書もあったように思う。小学生高学年からから中学生のころの思い出である。伊谷純一郎は日本における霊長類学、生態人類学、そしてアフリカ学の創始者の一人であり、多くのお弟子さんを育てた巨人であった。本書は1991年2月に連載された「私の履歴書」を基にしている。

 第Ⅰ部の冒頭に「陸蒸気」の章があり、1枚の写真が置かれている。ガリ・ラ・モシ(陸蒸気)と呼ばれた著者とその助手であったトングウェ人のボロ・ムゼーの話題である。40歳代だった著者がタンガニーカ湖畔からルグフ川畔までのトングウェランドを疾風のように歩き回っていたころの話で、躍動するボロ・ムゼーと笑う著者が写っている、お気に入りの記念写真なのだろう。この文章と写真は、著者没後に編集されたエッセイ集『原野と森の思考』の序として再掲されている。

 著者は1926年、鳥取生まれ。両親とも旧家の質屋出身らしいが、父が画家であったことが自由な発想という面から大きかったのかもしれないと思わせる。京都に移住しても、魚つかみの腕だけはほかに負けない自然児として育ったと自慢する。小学校を遊びほうけて入った中学校では教練があり、1945年2月の日本帝国最後の徴兵検査で丙種合格とされ、学徒動員された世代であった。鳥取高専の獣医畜産経由で、1948年京大理学部動物学科に入学する。

 その後、今西錦司との出会い、都井岬の馬、幸島、高崎山のニホンザルの個体識別を通して、霊長類の文化・個性に踏み込んでいく。そして日本モンキーセンターの援助を受け、1958年、類人猿研究のため、今西とともにアフリカに渡航するのである。当初の目標はゴリラで、ケニア、タンザニア、ウガンダ、ブルンジ、コンゴ(民)、コンゴ、カメルーンの7カ国を回ったというのは、現在の国名で、当時はどこも独立していない時代だった。今西のスタンリーばりの探検家風の写真が掲載されている。1961年、タンガニーカ独立の年に、タンガニーカ湖畔にチンパンジー調査の基地を設けるのである。

 ご家族のこともときどき垣間見える。ご両親のこと、親族のこと、夫人のこと。「助手歴20年」の車のなかで鉄腕アトムを歌う息子二人のエピソードもほほえましい。その息子たちは今アフリカで調査を続けている。偉大なる親父の背中を見続けてきたのだろう。


ボロ・ムゼーとガリ・ラ・モシ

 研究者としてだけでなく、著者は研究環境を整備し、後進を育てるために大きな精力を割いた。日本モンキーセンター(1956年)、京大霊長類研究所(1967年)、マハレ山塊国立公園(1985年)、京大アフリカ地域研究センター(1986年)などである。また、タンザニアのウガラ、マハレ地域だけでなく、コンゴのイトゥリの森、ワンバ、そしてケニアのトゥルカナなどに後輩、お弟子さんを送り込んできた。

 第Ⅱ部は「旅立ち」と題されているが、著者がいうように第Ⅰ部の補遺的な要素もある。大きな比重を占めるのはトゥルカナの話である。著者は研究生活の後半は霊長類から離れ、アフリカの原野に生きる人びとの暮らしに集中した。その対象は前半はトングウェであり、後半はトゥルカナの人びとであった。トゥルカナの人たちの話は、北部ケニアであること、牧畜民であることから、私自身遠い世界のように感じられ、今までほとんど知らなかった。が、このなかに記された「旅立ち(エウオジット)」は圧巻である。

 トゥルカナの精悍無比の個性形成の謎を探ろうと、子どもたちの調査を行う。子どもたちの動植物の知識に驚き、また遊びに自分の幼少時の記憶を重ねる。著者たちは1978年からトゥルカナの地域に入ったらしい。しかし1980年からの大旱魃で多くの家畜や子どもたちを失っていくトゥルカナと出会うことになった。家長の死、アウイ(キャンプ)の分裂と再編成、他民族の襲撃と移動などが淡々と描かれている。遊牧民というと、仮借なき略奪・殺戮というイメージが流布されているが、それを否定するようなデータがほしいと思う。

 第Ⅲ部は、トングウェ・ランドで遭遇したリカオン、セーブルアンテロープを「野生」で描く。跳躍しながら著者との距離を詰めてきたリカオン、川辺林の向こうに一瞬にして消えたセーブルを描く幻想的な文章はすばらしい。「その周辺」で京都とトングウェランド、トゥルカナランドでのトビとカラスを語る。日本でのハシブトとハシボソの分布と共存に触れている。タンザニアのカラスの在来種が、アジアから渡ってきた外来種(通称インディアン・クロウ)に次第に追いやられていく姿と重ねてみる。

 そして「大型類人猿」ではオランウータン、ゴリラ、チンパンジー、ボノボの社会の比較をしながら、純粋に野生ではないものの萌芽を示す。そして人類の起源のヒントについて、後者(チンパンジーとボノボ)の社会により興味を示している。


トゥルカナの子どもたちの遊び

 「私の履歴書」というのは、社会的に功なり名を挙げたと自他ともに認める人たちが書くようなものだから、ある面では鼻につく自慢話、自己正当化が見られ、興味なかった。しかし、本書は著者が「自伝を進んで書こうと思ったことはなかったが、…しかしそれは、自画像ではない。主人公は私にちがいないのだが、両親や、私の家族や、師や、先輩や、同僚や、後輩や、さらに私が出会った数多くの人びとの描写なしに、私を描くことは不可能なのである。」(P.13)に述べているように、著者から見れば後輩、お弟子さんであり、私から見れば先輩に当たる人たちの若き日の姿とか、知っているタンザニアの風土の以前の情景が描かれていて、とても楽しかった。

 「あとがき」で著者は「『旅立ち』があれば『旅の終わり』」があってもよいと思い…一種の恐れが邪魔してついに書き得なかった。」(P.212)と記しているが、「最後のアフリカ行」と副題のついた(『人類の発祥の地を訪ねて』)が「旅の終わり」となった。そこでは乾燥疎開林(ミオンボ林)を人類発祥の有力候補地と思い定め、チンパンジーの分布の東限であるウガラ川の畔に降り立つ著者の姿が出ている。これは遺稿集となったのだが、後進に多くの課題を残して去った。

 読んでいて惹きこまれるのは、簡潔で正確で、かつ抒情をたたえた文章である。理系の人の文章というのだろうか、かつて文学部で文章家を志していた自分には真似のできないところである。一方で蕪村の俳句が多く引用されている。蕪村というと芭蕉と比べ、やや技巧的な自然描写というイメージがあったが、違うのか。ともあれ、自然児が成長してナチュラリストになっていった人生が描かれている。

 蛇足である。本書はたまたま日本からの出張者から貸していただいたものである。それは大阪市のある機関の蔵書であった。市長による行政改革により、ほかの機関と統合されることになり、やむなく大量の蔵書が廃棄処分になったという。そのお流れに巡り合ったのだ。やむを得ない処分とはいえ、人権と文化に興味のないあの市長と絡めて考えてしまう。かつて当地の日本大使館でも書庫が狭くなったとかで、蔵書の廃棄処分が行なわれ、それを「焚書坑儒」だと憤慨している文化担当館員がいた。文化というものに対するそれぞれの人の思いは大きく異なるものなのだろうが、かつてタンザニアの調査をし、その成果をまとめた著書を謹呈した研究者たちの貴重なものも焚書されたのかなと気になったことを思い出した。


☆写真は本書の中から


☆参照文献:
 ・伊谷純一郎『人類発祥の地を訪ねて-最後のアフリカ行』(岩波書店、2014年)
 ・伊谷純一郎『原野と森の思考-フィールド人類学への誘い』(岩波書店、2006年)
 ・伊谷純一郎『森林彷徨』(東京大学出版会、1996年)
 ・伊谷純一郎『チンパンジーの原野』(平凡社、1993年)

(2015年8月1日)






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